格闘技医学 はじめに
人は、どんなときに「強くなりたい」と思うのでしょうか?
いろんな答えがあると思いますが、「今の自分を超えたい」と思った時ではないかと、私は思います。自分のサイズで思いつく解決法では解決出来ないことがなんとなくわかっているから、今の自分のサイズを超えることで、より確かな解決が実現するのでは無いだろうか?そんな現状認識と、強くなった自分への期待感が「強さ」を求める心の正体だったような気がします。
そもそも格闘技や武道は、人間が創り出したものです。もし、人間に「強くなりたい」という根源的な欲求が存在しなければ、格闘技や武道はなかったはずです。格闘技や武道は、最初から強い人のためのものではない。少しでも強くなりたい人、強く生きたい人のものなのです。
本書のタイトルは格闘技医学です。人を倒す術である格闘技と人を助ける術である医学。一見、正反対にみえる概念がひとつになっているように思えますが、格闘技は自分が強く生きるための道であり、医学は人類が強く生きるための道でもあります。格闘技と医学は対立する概念ではなく、真の強さを求める人たちにとっては不可分なものなのです。
なぜなら格闘技は対人の中で体験的に人間を知る作業であり、医学もまた人間を対象として深く探求する学問だからです。本書では、強さを追求する際に、手がかりとなるであろう客観的な事実や科学的な原理を記しました。格闘技や武道を行うのは人間であり、対象も人間です。であれば、人間の身体と心を学ぶ作業は、必ず強さとリンクするはずです。
一流選手や伝説の格闘家はどうやってその強さをつくって来たのか?そのエッセンスを科学的・医学的根拠と共に追求したのが「格闘技の運動学」です。どんなに努力しても、人は他人にはなれません。あなたは、あなただし、私は私。憧れの人に近づくことはできても、その人にはなれません。しかしながら、凄い人や憧れの人の動きの中にある「法則」や「決まりごと」「原理原則」をインストールすることはできるし、他人になるのではなく、自分のものとし、自分の中に生かすことは出来る。その考え方を示しました。
格闘技は、自分と相手の関係性です。自分にとっての得意技が、相手にとって嫌な技なら有利に働きますが、相手にとって「待ってました!」な技かも知れません。KOの解剖学の章では、格闘技のハイライト、KOにスポットをあてました。一見、偶発的に思えるKOですが、その発生頻度や再現性を高めることは可能です。「なぜ倒れるか」を根本から(解剖学から)理解すれば、倒す方法は自由に、無限に構築出来ます。正しい知識と理解は、拡がりを生むからです。相手を感じ、自分をコントロールしながら関係性を瞬時に更新していく、格闘技の面白さに迫ります。
強くなりたい、と思ってはじめたはずなのに、いつの間にかケガや障害と戦っている選手や元選手がたくさんいます。強さの追求の結果、不健康になり、人間として弱くなってしまう現実。そんなのはおかしいはずなのに、怪我や不健康が強さの証であるとする風潮にも、医師として違和感を覚えます。修復不可能な怪我をしてから「健康なヤツが強い」ことに気がついても手遅れです。選手生命を守る、の章では、格闘技が必然的に内包するリスクに光をあて、そのリスクを最小限にするヒントを記しました。格闘技で見せるのは生き様であって、死に様であってはなりません。格闘技ドクターからの提言です。
「格闘技医学」という新しいジャンルは、まだ生まれたばかりです。実際に、私自身わからないことだらけですし、知れば知るほど、知らないことが増えていくような気がしています。格闘技医学には、長い歴史も、誇れる伝統も何ひとつありませんが、代わりに、まだ見ぬ可能性に満ち溢れています。本書に記載されている内容は、ほんの一例、あくまでヒントに過ぎず、強さの答えは皆さんの身体と心の中に発見されるものと信じております。
このたび、格闘技医学の書を世に出すために尽力してくださったすべての皆様の心から感謝申し上げます。本書を手に取ってくださった皆様、ひとりひとりの強さにほんの1ミリだけ貢献できたら。それこそが、私にとってこの上ない喜びです。
格闘技ドクター 二重作 拓也