中井祐樹 vs Dr.F パイオニア対談 第2回:強さとはオリジナルである
-----今回は、Dr.Fと中井祐樹さんの対談2回目です。
まず、二重作先生は空手、中井さんは柔術と、それぞれ打撃系格闘技と、組技系格闘技をやってこられたわけですが、今、格闘技を練習している読者の中には、打撃も寝技も両方やってみたいという好奇心旺盛な人も沢山いると思うんです。
その一方で、今やっている格闘技でさえ満足な結果が出ていないのに……と、新しいことを始めるのに二の足を踏む人もいるでしょうし、また古い慣習を持った道場などでは、他の稽古を禁じるところもあると思います。これについてはどう思いますか?
中井 僕は打撃界とのつながりはそんなにないんですが、それでも指導させて頂いた方はけっこう多く、例えば極真会館(松井章圭館長)の支部長さんである御子柴さんや進さん、根本さんなんか、みんな紫帯や茶帯のれっきとした柔術家なんです(笑)。あと、埼玉県草加市のパラエストラの能登谷支部長は、空道の全日本軽量級チャンピオンで、空道の道場も併催して行っているんですね。
僕は、柔術ができて困ることはないでしょ? と思うんです(笑)。寝技が許されるような試合に出たら、腕ひしぎ十字固めで勝って、俺の空手のには"十字"も入っているんだよ、と言ってくれればいいんです。僕もそれで良いと思っているんです。
格闘技というはそういものじゃないでしょうか。大きな団体や競技を創られた偉大な先生方がいらっしゃいましたが、実はそれはみんなができることなんです。自分のアートを創ることはできるわけですから。
格闘技をストイックに練習なさっている方のなかには、この方法でやらなければだめだと思っている方かなりがいらして・・・
Dr. F その思考の枠にはまっているといいますか、真っ直ぐに前を向いている方ですね。
中井 気持ちはわかりますし、それはそれで素敵なことだと思うんです。ただ僕は、これまで諸流派や新たな格闘技を創ってこられた歴史上の先生方も、稽古を積んで、のれん分けなどで先生から離れて、創意工夫を続けるなかで、実はいつの間にか違うことをやっているんだよ、同じルールのなかでやっているから、同じように見えるけれど、実はその先生のオリジナルなんだよと言っているんです。
Dr. F オリジナルのお話、とても興味深いです。人間の脳というのは常に体から感覚を入力していますよね。ですから、僕はご覧の通り、手足の短い体格だから(笑)、このサイズをベースに発想してしまうんです。逆に僕が身長190cmあって手足が長かったら、違う発想をするはずなんです。
中井 ・・・ということは、体が脳なんだ。
Dr. F そうなんです。脳は外界の情報をキャッチするだけではなく、肉体の情報も常に脳に送っているんです。
たとえば、7歳までに事故などで手などを失ってしまうと、失った手の感覚はないんですが、7歳を過ぎて手を失ってしまった人は、手があったときの記憶が脳に定着しているから、「なくても、ある」という状態なんです。それが、脳が体を支配していますが、体も脳を支配している、ということなんです。ですから、双方はものすごくリンクしているんです。
ですから、同じ競技、そして同じ技術をしたところで、それはその人の個性、いわばオリジナルでしかないんです。
中井 身体がオリジナル、というわけですね。
Dr.F まさに、そうなんです!たとえば、僕が弟子に、相手に近づいてこうしてボディを打つといいといっても、それはあくまでも僕の手足の長さで技を組立てているわけで、僕が身長190cmベースの思考で技を組み立てたくても、簡単に組み立てられるものではないんです。唯一、可能であるとすれば、身長140cmの相手ばかりのトーナメントに僕が出場することで、擬似的に体験してそこから発想することぐらいでしょうか。
格闘技の技術というのは、いろいろな前提の上に成り立っているんですね。たとえば、ムエタイというのは相手のローキックをスネ受けをしますが、体重が重い相手に蹴らればバランスを奪われるばかりか、吹き飛ばされてしまいます。つまりこれは、体重が同じぐらいだから成り立つ技術なんですね。こうした競技の背景が技術に反映されてきますし、技術というのは人間がやることになるんですが、人間は結局、効率を追うんです。だから、強い人間は自分の戦いを知っているんですね。それを細分化していけば、自分の手足の長さを知っているということですし、自分の体格を知っているということなんです。
これはちょっと哲学的な話になるんですが、言い換えれば、強くなると言うことは自分を知るということですし、自分じゃない人間に触れることで、自分を知るようなところがある気がします。
中井 僕は、「信じていたこと、やってきたことが違う」と感じることがあって、今度は新たに見つけたやり方を研究していくと、前に持っていた強さを失うことがあるんですね。だけど、トータルでどっちもできるとより強くなることができるんです。
これはクロストレーニングとは別なんで、「格闘技は何をやっても格闘技の練習になる」ということは僕自身が体験しているんですが、練習中にいくつか違うものを入れると、違うものが出てきますし、「違うものが出てくる機会」と「考える時間」を作ることが重要だなと思っているんです。
Dr.F うわぁ、「何をやっても格闘技の練習になる」って、まさに希望の言葉です。
中井 今まで10分でやっていたスパーリングを3分でやってみると、ペースが違うからえらく疲れるんですね。もちろん、これは強くなるためには必要なことなんですが、寝技の人たちはテクニック偏重主義で、強くなるためにはテクニックという考えがあるので、こうした時間に対して考えがいかない傾向があるんです。それも、先生がおっしゃる"前提"なのかもしれませんね。
Dr.F なるほど、時間は前提の際たるものですね。
中井 生徒に、柔術で強くなりたいんですけれど、どうしたらいいですか? と聞かれることがあるんですが、これまで最短で、3年で黒帯を取った生徒がいたんですが、そいつはサッカーをやっていたんですよ。サッカーがどう生きたかはわかりませんが、彼は準備が出来ていたんですね。営業上これは言えませんが(笑)、「道場に来なくて外のことをやっていてもいいよ」という可能性もでてくるんですね。いわば、なんでも格闘技の練習になるんです。
Dr. F たしかにそうかも知れないですね。よそを見るな、というのはもう時代にマッチしていないのかも・・・。あるいは、時代が格闘技に求めるものではなくなっているのかも。いろいろなものをどんどん取り入れていって、格闘技ももっとクリエイティブなものと捉えていった方がおもしろいし、実践者も幸せなのかも知れないですね。
中井 本当にそうですね。ただ、ひとつ付け加えておかなければいけないのは、古いやり方を通していくなかでも、強さはつかめるんです。パラエストラ品川支部の佐々という僕の一番弟子は、彼の弟子たちとマンツーマンで365日休みなしで練習して、一日2回の練習か、多いときには3回の練習。今の時代、そんなことないじゃないですか。でも彼はそれで、とんでもなく強くなっていったんです。
Dr.F おおお、興味深いです!
中井 あるとき、他の弟子から、「他の黒帯はなにをしてくるかわかるんですが、佐々さんは何をしてくるわからないんです」と言われたんです。佐々が入門してきたのは、彼が17歳の時だったんですが、その時、僕は彼に、「同じ技ができるんだったら、体を自在に動かせるほうが強くなるよ」、と言ったんです。そうしたら、彼は、僕が"ムーブメント"といっている、エビとかの動きの一人練習を丁寧にすべて行っていたんですね。全部やると2時間ぐらいかかるんですが、そんな基礎練習を毎日みっちりやっているヤツって、このご時世にいないんですよ(笑)
Dr.F 凄い!素晴らしいですね!
中井 言ってみれば他の運動でもよかったんでしょうけれど、そこに信念みたいなものが生まれていったんでしょうし、その量が最後にまわりを驚かせるような動きを作り出したんでしょうね。
ただ、彼も他の練習はしていなかったけれど、スパーリング以外のちょっとした動作や、車を磨いたりしていたなかでも柔術のことを考えていて、他のトレーニングをすることに代わりに、すべての行動が練習になっていたかもしれません。
Dr. F 他の格闘技や最先端のトレーニングに目を向けたりする人がいれば、職人的に練習して強くなったり、強さを求めているのに、山の登り方がまったく違う、というのがまたおもしろいですね。
中井 ホントですね。
Dr.F 教育学の本に、"才能とは、積みかねることができるという能力"とあったんです。前時代的な教育学では、センスのある子というのは、教える側の目線から手間暇かけずに伸びて来る子だと思われていましたが、今のアメリカの教育ではそれが完全に否定されていて、「どれだけ数を重ねることができるか」、その一点が才能なんだとパラダイムが変ってしまったらしいんです。
中井 おもしろい話ですね。僕は、「強くなるには法則はない」と思っているんです。そして、いろんなことができた方が可能性があるんです。そういった意味では、僕の弟子にも、僕のやり方に縛られない方がいいとは言っていますし、中にはたくさん稽古できない人もいるので、その人にあった方法を選んでもらえればと思っています。
ーー先ほど、二重作先生の言葉に、格闘技は前提の上に成り立っているというのがありましたが、逆にこれを利用して練習効果を上げるというのはあるんでしょうか?
中井 パラエストラでは、子供たちの練習のなかで設定をかえながら行うことで、効果を変えています。たとえば同じ組技でも、相撲であれば土俵があるので、押し負けしない体の心の強さが身につきますし、土俵脇まで来きたときの切り返しのセンスが磨かれます。
これが土俵なしで行った場合、際限なく下がることができるので、押しだけではできなくなるため、むしろ相手を引き崩したり、自分から積極的に取りに行ったりする能力が必要になるので、ヒザを付くことはできませんが、レスリングに近い動きになります。あとはレスリングのようにヒザを着いたり、足をかけてもOKで、ただしタックルは禁止。相手の背中を着けると勝ちにすることで、組み技の総合的なセンスを磨いていくようにしています。
ちょっと二重作先生と組んでみましょうか? ムエタイに首相撲がありますが、僕はまずは"手相撲"から始めるのが良いんじゃないかと思っているんです。レスリングにもあるように手を伸ばして相手を崩していく・・・。
Dr. F (中井氏との"手相撲"のスパーリングで)引き倒されるというよりは、手が体に這うように巻き付いててき、まるで合気道のように、自分からある方向に飛んだほうが安全なんじゃないかな、というような感じですね。
中井 ここからさらに、投げてグラウンドに移ってから10秒、という制約を設けると、人によって反応が違ってくるんです。投げられてすぐに起き上がる人もいれば、すぐに相手の上になる人もいるし、すぐに関節にいく人もいる。これは投げた人も同じで、上から押さえつけたり、関節を極めたり、ここで「個性」が見えてくるし、自分を広げていくべき方向が見えてくるんです。
Dr. F これは興味深い話ですね。空手ですと、相手にローキックを効かせた場合、ローを連打する人もいれば、すぐにハイキックを蹴ってKOしにかかる人もいる。逆に相手の反撃を待ってカウンターを蹴る人もいるということになるでしょうか。
中井先生のこの練習は、「言われてみれば、確かに」と思いながら、本来は気がつかない部分ですから、この練習を通して「確信を持って磨いていける」というのはすばらしいですね。
中井「サッカーにも"練習試合が一番役に立たない練習だ"という言葉があるとおり、こうした条件を限定したドリブル練習などで技術を磨いていって、それを試合に繋げていく作業が必要なのかもしれません。
格闘技でも、なんでも同じでしょうが、「限定と全体」をいつも行き来しているような、そういう作業を繰り返さないといけないとは思うのですが、仲間といるとフリースパーリングばかりになって、楽しい練習ではありますが、トータルすると"どんぶり"になって抜け出られない恐れが出て来るんですね。であれば、ガイドラインを持った人が一人ついていて、導いていくということが必要になってくると思います。
Dr. F 限定と全体!なるほど、僕自身、「練習した気になるだけの練習」にもっと厳しくしていかねば、と思いました。今、中井先生と差し合いをさせていただいてふと気がついたのですが、空手の後屈立ちという伝統的な立ち方があるんですが、この下半身の各関節を正しい角度で保っていると、相手に押されてもある程度耐えることができるんです。
中井 ああ、本当だ!
Dr. F あとは前屈立ちというのがありまして、この2つの立ち方を行ったり来たりすると、かなり差し合いの中で有効になってくるんです。
差し合いの練習をするなかで、無意識にこの角度を作る人もいるでしょうが、ごく一部だけで、多くの人は角度を知らずに力だけで練習を繰り返すばかりでしょうし、また見ている人も投げられて床に転がる様子だけを見て、すばらしい投げだと感じるだけで、投げるときのヒザ関節の角度をはじめとした下半身の動きに気づく人は、ほとんどいないと思います。
中井 体の使い方に気づいた人だけが強くなれるのではなく、誰もが強くなれる可能性と具体的な方法を示してくれる格闘技医学は、格闘技をやっている人にとってかなりの味方になってくれるんですね。
Dr.F ありがとうございます。微力ながらそこを目指したいです。中井代表、今回も格闘技の希望のお話をありがとうございました。お話を伺って、格闘技の奥深さと可能性に気づかせていただいた気がします。
中井 こちらこそありがとうございます。格闘技医学のますますのご発展を僕も楽しみにしています!