スポーツ安全実現に向けて ~アドバイザーの皆様からのメッセージ~
バンゲリングベイ代表
新田 明臣
格闘技やスポーツをより安全で誰にでも楽しめるものにする、普段体調管理のために行うスポーツやスポーツ競技での不慮の事故などを無くしていく、これは現代のスポーツ界において最も大切なことではないかと思います。スポーツを楽しみたい、格闘技で身体を鍛えて強くしたい、そういう想いから始めた筈なのに不慮の事故は未だに絶えません。
競技者、選手ともなれば更にそのリスクは高くなり、大怪我をしてしまったり、場合によっては亡くなってしまう人がいるのが今のスポーツ界の現状です。こんなに悲しいことはないですし、一刻も早くこの現状を多くの人が知り、無くしていくべきだと思います。その為に一番必要なことは何よりも業界に関わる人間の『一人一人の意識改革である』と強く実感しています。
コロナがあり、社会も自粛、規制で、これからのスポーツ界、格闘技界もどうなっていくのか先行きが見えません。
そんな中において、解ったことがあります。それは、同じ問題を抱えていても、一人一人の意識の違いに差があり、危険に対しての対応の仕方が違うということです。
これはスポーツ指導者においてもその人の危険に対しての意識の在り方によってはとても危険な事故がいつどんな時起こり得るということを示しているとも言えます。こんな時代だからこそ、怪我なく出来る安全なスポーツの追求をし、その土台を作っていく。
人間の本能的な最初の行動の動機にもなり、全ての運動の基本ともなる、「安全で楽しい」ということを大前提としたスポーツ界の安全管理、イメージを変える努力をしていく。
かつての、または現競技者達が、培ってきたその知識と経験を存分に活かし、スポーツを発達させてきた『競争心』や『競技思考』の落とし穴に今こそ目を向けて新たな時代のスポーツの定義を創っていくことこそがこれからのスポーツの更なる繁栄と、社会への恩返しにもなっていくのだと強く思います。
『意識が変われば景色が変わる』
バンゲリングベイ代表 新田明臣
恵比寿・駒沢のキックボクシングジム バンゲリングベイ ~ BUNGELING BAY
パラエストラ代表
中井 祐樹
武道・格闘技は相手をノックアウトしたり投げたり降参させたりコントロールしたり防御したりといった戦闘技術の体系です。他のスポーツももちろんそうなのですが自分の身体だけでなく、相手の身体のこと、さらには生徒や先生の身体のことも熟知しなくてはなりません。つまり人間を知らなくてはいけないというアートなのです。
私自身いくつかの大小の怪我をし、またそれらを目のあたりにしてきました。極力いずれも少なく抑えてはきましたが、この道には終わりがありません。
このほど、志を同じくする有識者の皆様が『スポーツ安全指導推進機構』を設立しました。より安全にスポーツ・武道を行っていけるよう様々な取り組みが進んでいきます。皆様、是非ともアクセスいただき、より良い世界を描いていきませんか。
中井 祐樹
中井祐樹 Yuki Nakai (@yuki_nakai1970) | Twitter
実践女子大学講師・博士(文学)
三浦 宏文
インド哲学の研究者の三浦と申します。この度はスポーツ安全指導推進機構の熱く強い志に感銘し微力ながらアドバイザーの大任をお引き受けすることになりました。よろしくお願いします。
私は小学生の時に剣道、中学の1年時に野球、そして中学の2年時から高校までラグビーを5年間と多岐にわたるスポーツ経験を経てきましたが、その時常に悩まされたのが怪我でした。しっかりした指導者がいない中で自己流でバーベルを使った筋肉トレーニングをすることの危険性、自己判断で練習や試合に出る危うさは身をもって知っています。常々、なんらかのディシプリンを作る必要性を感じていました。したがってスポーツ安全推進機構には、ようやく願っていたものができたという思いです。
スポーツをより身近で楽しむために、それにまつわる危険性の排除・安全性の確保はスポーツ界の喫緊の課題だと思います。その課題に逃げずに正面から向き合おうとする当機構の取り組みは、必ず日本のスポーツの状況を変えると確信しています。浅学非才な私ですが、お力に少しでもなりたいと思います。
インド哲学研究者
三浦 宏文
三浦宏文 MIURA Hirofumi (@HirMiura) | Twitter
演出家・カクシンハン主宰
木村 龍之介
身体の力を最大限に発揮する〈すごいプレー〉を目の当たりにした時。私たちは「人間とはこんなに美しいのか!」と深い感動を覚えます。
私たちはその感動を地球上のあらゆる人間とシェアできます。国籍・人種・宗教・世代、それどころか社会的なヒエラルキーさえも、大した問題ではありません。感動は楽々と垣根を飛び超えて、根源的なところで世界中の人間とつながれます。そんな奇跡のような「感動のつながり」を体感したくて私たちはスポーツ・格闘技・身体芸術の現場に足を運びます。
スポーツ・格闘技・身体芸術。
それらの分野に共通するものは〈人間の美しさの追求〉です。美しさの追求とは、強さ (速さ) の追求であり、勝利の追求であり、人間が持つ可能性の追求です。それらの追求に熱心に取り組むことは、人類の進歩においてとても重要です。
「熱心に取り組む」
これはとても魅力的な言葉です。
が、そこで私は自分にこう問いかけます。
「目的を達成するための〈プロセス〉に追求はあるか?」
問いは続きます。
「安全や命を犠牲にするような、間違った熱心さに埋没してしまってないか?」
自問自答に終わりはありません。
安全に配慮しない熱心さは、人間の体と心を壊し、時には命をも軽々と奪います。誰もが望まない最悪の結末です。人間の美しさを目指していたはずなのに、本末転倒です。そのために指導者は、いいプロセスを追求し続ける必要があります。
指導者は、とても孤独です。〈多くの責務〉と〈結果へのプレッシャー〉がつきまとうからです。指導者がいいプロセスに一人で向き合うには荷が重すぎます。一人で学ぶにはあまりに多くの知識と経験が必要だからです。
多くの専門家が名を連ねる「スポーツ安全指導推進機構」において、高い意識を持ったプロフェッショナルな仲間と共に学び続けることが何よりの指導者の指針となります。
私たちみんなで、意を決して、安全を第一義とし、その上でプレイヤーの体と心、命を守りましょう。そして〈安全なプロセス〉の中で、前人未到の人間の美しさを追求しましょう。
私もまた、演出家として指導者として、過去を省みながら、未来に向かって、「安全なプロセスを実現できているか」を常に厳しく問い続けていきます。
演出家・カクシンハン主宰 木村龍之介
@ryunosuke_kimur
カクシンハン
カクシンハン 演劇プロデュースカンパニー | Theatre Company KAKUSHINHAN
演出家 木村龍之介インタビュー
https://performingarts.jp/J/art_interview/2002/1.htm
札幌厚生病院病理診断科主任部長
Dr. 市原 真
スポーツを通して得られるものは計り知れません。自分の体をコントロールできる喜び。目標に向かって邁進することの気持ちよさ。周囲の人々と切磋琢磨する時間。これらはかけがえのないものです。
私事で恐縮ですが、小学校1年生のときに剣道をはじめました。医師国家試験直前まで18年間、小中高大と欠かさず稽古を続けました。つらいことも苦しいこともありましたが、幸いにも幾人かの尊敬できる師を得ることができ、大学時代には東日本医科学生体育大会で団体優勝を勝ち取ることができました。剣道を続けてきて本当によかった、本心からそう思っています。
ところで。私と同じように子どもの頃からスポーツを続けてきた人たち、さらには指導者の皆さんであれば、スポーツの最中に「不幸な事故」によって命を落としたり、体に重大な障害を抱えたりするケースが残念ながらあるということもご存じだと思います。水を差すようですが、事実です。
「不幸な事故」は今日もどこかで起こっています。
私は医師です。「不幸」なできごとに遭ってしまったアスリートたちや子ども達を、必死で治療する側の医者のことも、よく知っています。友人にもスポーツ医療の道に進んだ人間がいます。
彼らの話を聞いて私はぞっとしました。スポーツ医学が今ほど整備されていなかった時代に、私のような「ごく普通のスポーツ少年たち」が行っていたことが、どれほど大きなリスクを抱えていたのかということを。
そういえば小学生のころ、稽古の最中に「胸突き」でひっくり返された記憶があります。「首への突きは禁止だが、胸元を竹刀で押して距離を取ることまでならOKだ」という間違った認識があった時代です。もし私があのとき、心臓振盪で絶命していたとしたら、当時の指導者たちは「なんと不幸な子どもなのだろう」と悲しんだことでしょう。当時は「なぜ胸への突きが危ないのか」が解明されていませんでした。私は、たまたま事故に出会わなかった「幸運な」人間だったのです。
時代と共に私たちは「成長」していかなければなりません。
「巨人の肩の上に立つ」という言葉があります。先人達が積み上げてきた知恵、それが大きく集まってできあがった「巨人」。後世の人は、巨人の上にひょいと立つことで、労せずして遠くを見渡すことができる。
これは科学の発展を現す言葉ですが、スポーツにも十分あてはまるでしょう。武道が○百年とか○千年という歴史の中で研ぎ澄まされてきたように、100メートル走のタイムが時代と共に速くなっていくように。今を生きるアスリートたちは常に、先人達の研鑽の結果を取り入れて強くたくましくなっていきます。
スポーツ医学も同じです。
かつて我々が「不幸な事故」と思っていたものの大半は、今や防ぐことが可能となっていますし、防がなければいけないのです。
あらゆるアスリートやスポーツ指導者たちが、スポーツ安全推進機構の手を借りて、リスクの少ない最新で最高の鍛錬方法を取り入れることを切に願います。あなたがアスリートの気持ちをお持ちであれば、克己して成長していくことの喜びを知る人であれば、「かつてのリスク」を避け、「かつての不運」を回避することの大切さを、きっとわかっていただけることと思います。
札幌厚生病院病理診断科主任部長
市原真 / 病理医ヤンデル
病理医ヤンデル (@Dr_yandel) | Twitter
(病理医ヤンデル先生としても高名な、才気あふれる市原 真ドクターが、素敵なメッセージ・イラストをくださいました。市原ドクター、お気持ちをありがとうございました)
SNS医療のカタチ
Dr.大塚 篤司
ぼくは子供の頃、剣道をやっていました。
小児喘息には剣道が良い、と聞いた母親が、幼稚園の体育館で行われている子供剣道教室にぼくを放りこんだのがきっかけです。
親に言われていやいや続けていた剣道ですが、「六三四(むさし)の剣」という剣道アニメにはまって、自主的に朝練を続けた結果、なんと、小学校五年生のときには千葉県大会で優勝までしてしまいました。
ただ、ぼくのスポーツ人生はそこがピークで、その後は運動音痴を思う存分発揮して学生時代を送りました。
スポーツに自信が全くないので、ぼくはスポーツでは一切無理をしません。笑
ただ、得意だった剣道だけは少し調子に乗っていたかもしれません。
「六三四(むさし)の剣」では、主人公である六三四の父親が剣道の試合で死んでしまいます。後に六三四のライバルとなる東堂修羅の父親との試合で、「突き」を喉に食らったのが致命傷になります。
「突き」は怖いけれどもとても格好いいもの
剣道アニメに夢中だったぼくはそう思っていました。
しかしながら、剣道教室でおふざけで「突き」をしようものなら、先生から容赦なく怒られました。それはやはり、子供のスポーツにおいて「突き」は危険だからです。
二重作先生は、根っからの空手少年だったと聞いています。その後医者となり、格闘技ドクターとして活動する中で誰よりも「スポーツが併せ持つ危険性」を痛感したのでしょう。そして、小学生のときのぼくのように、少し得意げになって危ないことをする子どもたちも見てきたのでしょう。
ぼくが剣道の思い出を大人になった今でも軽く自慢できるのは、あのとき事故が起きなかったからです。
危ないことは危ないと注意してくれた大人がいたからです。
子どもたちの誇れる記憶を、誇れるもののままにしてあげるために、ぼくたち大人が正しい知識を得ることはとても大切なことです。
ぼくはスポーツ安全指導推進機構の活動を応援しています。
SNS医療のカタチ・医師 大塚篤司
大塚篤司【医師’医学博士】Atsushi Otsuka (@otsukaman) | Twitter
AERA.dot コラム
大塚篤司〈コラムニストプロフィール〉 - 朝日新聞出版|AERA dot. (アエラドット)
SNS医療のカタチ 公式Blog