スポーツ安全指導推進機構/格闘技医学会

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現役ドクター3人座談会① 医師から見たジュニア格闘技の危険性

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 (左上:鞆ドクター、右上:藤崎ドクター 左下:Dr.F 右下:座談会収録のファイト&ライフ誌)

 

―――格闘技・武道の経験を有しながら、医療の現場の最先端で活躍されているドクター座談会をお届けします。Dr.Fの知古の友人でもあり、方向性を同じくする藤崎ドクター、鞆ドクター、Dr.F、どうぞよろしくお願いします。まずは、自己紹介をスタートに、どんどんお話を進めていただければと思います。

 

藤崎:藤崎 毅一郎(ふじさき・きいちろう)と申します。私は二重作ドクターと同じ東筑高校で過ごしましたが、お互いがスポーツドクターを目指し医学部受験をしていたことは当時知らなかったと思います。クラスも違ったし、1学年470人もいたので、そこまで接点はなかったんですが・・・実は同じ方向性で、しかも同じ2浪生活を過ごしていたわけです(笑)。

 

 小学校から高校までサッカーに明け暮れまして、その中で怪我もしました。大学では人生最後のチャンスとそれまで見ることが大好きだったボクシングをアマチュアで経験する機会を得ました。アマチュアで公式戦を3試合させて頂きました。とてもボクシング経験者と呼べるレベルには達しませんでしたが、それまで球技、集団競技を長くやってきた私にとっては、個人競技、格闘技に対する視点が大きく変わった出来事でした。

 

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―――そうだったのですね。現在、内科医としてご活躍なわけですが、内科を選ばれたきっかけなどはございますか?

 

藤崎:私は以前から整形外科を志望していたのですが、あえて整形外科を進路に選ばず、内科医を目指そうとしたのもこのボクシングの経験が一つの要因となりました。

 

Dr.F ボクシングがきっかけのひとつとは!個人的にも興味深いです。

 

藤崎:ありがとうございます。階級制のスポーツは試合に向けてウェイトコントロールをするわけですが、いわゆる「根拠の分からない経験的な減量法」は一切やりませんでした。当時は現在のようなインターネットは普及しておらず、かつての東ドイツナショナルチームが用いていたスポーツ栄養学、ウェイトコントロール法の翻訳書がありましたので、そういったものを参考にしたりしていました。そういった中で内科医を目指そうかなと思った訳です。

 

Dr.F 内科医・藤崎ドクター誕生は減量がきっかけだった、と!

 

藤崎:そうなんです!その後は大学病院等で救急医療や重症患者管理等を経験してきました。スポーツ医療との関わりがほとんどない環境でしたが、高校卒業後20年の時を経てDr Fに再会することとなりました。

 

――自らの減量の経験が、現在の道に通じたのですね。Dr.F、藤崎先生の印象はいかがでしたか?

 

Dr.F 元サッカー部のキャプテンですからね、身体能力はもちろん高いし、学業もおろそかにしていなかった。メジャースポーツにある種の引け目を感じていた僕にとって、彼がボクシングを選ばれた、というところに親近感を感じましたね。再会後は、スポーツの安全と健康というフェイスブックのグループで共にディスカッションを行ったり、「この問題、どう思う?」という専門的な相談に乗ってもらったりして、随分助けていただいています。

 

――Drならではの感覚を共有できる面があるのでしょうか?

 

Dr.F はい、その通りです!他人の命に関わる判断を日常的に行っているプロですし、さきほどの「根拠のわからないものはやらない」という一貫した態度は、医師として非常に信頼できる部分なんです。

 

藤崎:恐縮です、でも科学的、医学的根拠は、非常に大切になってきているように感じます。

 

――なるほど、そういう意味でも方向性が共有できる間柄なのですね!では、もうひと方のゲスト、鞆ドクター、自己紹介をお願いいたします。

 

鞆:鞆 浩康(ともひろやす)です。私は、小学生の時は野球をし、中学では野球部がなかった為ハンドボール部に所属しました。そこで個人競技もしたいと思い、極真空手を始めました。中学生の時はクラブ活動が終わってから道場に通うハードな生活をしていましたが、高校生になって極真空手のみになりました。受験勉強を理由に高校2年生で一旦空手も辞めました。Dr.Fと同じ高知医科大学に入学し、極真空手が楽しかった事が忘れられず、極真空手も再開しました。海が大好きで、ヨット部にも入り、更にサーフィンも始めた為、その頃の海にばかり行っていました。その時のあだ名は漁師です。

 

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Dr.F:確かに、同期でいちばん日焼けしてました(笑)

 

鞆:あははは、そうでした。診察、リハビリ、手術まで一貫して1人の患者さんと関われる事、自分は単に生きる時間の長さよりも、歩いたり、走ったりと元気な時間を長く過ごしたいという想いがあったのと、内科領域に関して何も診る事が出来ないのは嫌だったので、3年間は救急医療を行い、その後に整形外科医の道に進みました。

 

 整形外科の分野ではスポーツ整形外科を専門分野としています。理由は、スポーツの患者さんが求める高いレベルに応えたいという想いからです。私の格闘技を含むスポーツの患者さんに対するアプローチは、チーム医療です。現在は、休息療法・栄養療法・運動療法・手技療法・地域医療を5つの柱とした医療グループであるオルソグループ(

オルソグループ|皆様が生涯にわたり笑顔と元気であるように健康管理を担う究極の医療グループを運営しながら、日常診療、肩関節・骨折などの外傷を中心とした手術、ボクシングのリングドクター、アメリカンフットボール、バレーボール、野球、柔道などのチームドクター、その他もスポーツ現場での活動も行っています。

 やはり、私自身が極真空手をしているときには、常にどこかを痛めていましたので、格闘技の医療に対しては、特に思い入れがあります。

 

藤崎:元気な時間を長く過ごしたい、というコンセプト素晴らしいですね。グループの経営、そしてあらゆるステージに関わるチーム医療活動も興味深いです。Dr.Fとの関わりはどのような感じでしたか?

 

鞆:藤崎先生、ご評価ありがとうございます。

 

鞆:私が二重作先生と出会ったのは高知医科大学に入学した時ですが、一緒に道場で練習に励んでいました。先生は、空手がないと生きていけない位、空手が好きで、大学で同好会を作り、仲間を集めて中心になって練習をしていました。練習ではいつも笑顔で笑いながら、重た~い蹴りやパンチを自分に叩き込んで来ていました(笑)。ですから、Dr.Fとして活躍しているのを見て、必然と思いました。

 

Dr.F それ、一部、話盛りすぎです(笑)鞆先生は、ステップが速くて、捕まえきれなかったですから。とてもテクニカルなカラテをされていました。パッってサイドに動かれて、僕が追いかけた瞬間、前蹴りをグサッとボディーにもらったこと何回かあるんで。

 

鞆:よく覚えてますねー。

 

Dr.F そんなことしか覚えてません(笑)肝心の医学の授業のことは覚えてないのに(苦笑)

 

ーー先生方、ありがとうございます。いろんな話題が期待できるお三方ですが、先日、タイで13歳の少年がムエタイで死亡する、という痛ましい事故がありました。様々な背景や要因があるかとは思いますが、率直に子供の格闘技について、どのようなご意見をお持ちですか?

 

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Dr.F 非常に残念でショッキングなニュースでした。まず亡くなった選手については、心からお悔やみを申し上げます。同時に起きるべくして起きた事故だな、というのが正直な感想です。貧困で子供が試合で稼いで親を養う、というタイの事情があったとしても、基本、格闘技は子供用に出来てはいないので・・・。藤崎先生はいかがですか?

 

藤崎 私にとっても誠に心の痛むニュースでした。世界中のどこであっても起きて欲しくないのが、子供の事故です。格闘技の少年期において危険な点は、頭部の衝撃への耐久度が低いことです。大人より脳の損傷を起こしやすい身体構造と言えます。

 

靹 子供が亡くなるのはどんな理由でも悲しい事で、出来る限り防ぎたいですねぇ。私も子供は格闘技には向いていないと思います。

 

 藤崎先生の仰るように、子供は脳も骨もまだ発達段階です。肉体的にもフルコンタクトは良くないです。精神面において、礼節の精神や、相手を思いやる心を養うための時期だと思います。子供の時期は心と技を磨くのが優先だと思いますし、どんなに早くても高校生以降、通常は成人でないとフルコンタクトは賛成しにくいですねぇ。

 

 (②へ続く)

 

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