スポーツ安全指導推進機構/格闘技医学会

スポーツの安全情報、医学情報を発信。

パンチドランカー(1)~脳の砂漠化・真の恐怖・症状~

【脳の砂漠化】

 

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 格闘技における脳への影響で有名な、パンチドランカー。パンチドランカーとは、慢性的な衝撃を受け続けることで、脳細胞が死んでいく病態のこと。格闘技をやらない人でも、「使わない脳細胞」は必要が無いためどんどん死んでいきます。1990年代までは、「脳細胞の数は年齢と共にどんどん数が減っていき増えることはない」が定説でした。しかしながら2000年にイギリスの神経学者マグワイアが「海馬(記憶に関わるエリア)の脳細胞は成人しても使えば使うほど増える」という研究結果を発表。現在では「使えば使うほど海馬の細胞は増える可能性がある。使わない細胞はどんどん死んでいく」ことがわかっています。

 脳細胞の数は、およそ1千億個。海馬の神経細胞の数は、その1万分の1と言われていますので、脳全体として脳細胞の全体の数は減ってしまいます。脳細胞は、細胞核を取り囲む細胞体と、そこから手足のように伸びた樹状突起シナプスで他の細胞とつながりネットワークを構成しています。脳に慢性的に衝撃を受けると、脳細胞自体が死んでしまい、「繊維」にどんどん置き換わってしまいます。まるで緑と水に囲まれた豊かな森が「砂漠化」していくように・・・。格闘技やコンタクトスポーツで脳に衝撃を受け続けると、脳の細胞が死ぬスピードは極めて速くなる。これもまた、格闘技や武道が内包するリスクのひとつです。

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脳の砂漠化

 

 【パンチドランカー、真の恐怖】

 困ったことに、パンチドランカーの症状は、現役中に出ないケースが多いのです。パンチドランカーの症状がどんどん表に出てくるのは、50歳を過ぎてから。現役中に出てしまっている場合は相当深刻です。20代の若い現役選手同士が、「お前、パンチドランカーじゃないよな、あはは」「僕は大丈夫です」なんて無邪気に笑っていたりしますが、本当に怖いのはあと数十年してから、という話なのです。

  では、なぜ若いときパンチドランカーの症状が出なくて、時が経ってから表出するかというと、若いときは脳細胞の数自体が多いので、多少脳細胞が死んでしまっても、元気な細胞の割合が圧倒的に高いため、症状がほとんどマスクされて表に出てきません。しかしながら、50歳ぐらいになると、普通の人でも使わない脳細胞が減っていくため、今度は脳細胞がなくなったところがどんどん目立ってくるため、と考えられています。

こちらは正常と異常の脳のCT写真ですが、正常は脳の実質がしっかりと詰まっているのに対し、脳の萎縮を伴うCTは、隙間(黒い部分)が多くなっています。

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正常

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脳の萎縮あり

 

【パンチドランカーでみられる症状】

 身体の震える、呂律が回りにくい、バランス感覚が悪い、手先が不器用になった、の喪失、物忘れがひどい、集中力が落ちた、判断力が低下した、感情がコロコロ変わる、うつ的で悲観的、暴力や暴言、攻撃性が強く怒りっぽい、社会性に乏しく幼稚な傾向、性的羞恥心の低下、病的な嫉妬、被害妄想的などなど。

パーキンソン病のような運動障害からシャレにならない精神障害まで、恐ろしい症状のオンパレードです。引退して何十年か経った選手が犯罪を起こしたり、暴力沙汰を起こしたり、ドラッグに手を出したり、元人気選手が自殺したり、という悲しいニュースを耳にします。本人の元々の疾患や素因、環境などの問題もあるとは思いますが、「パンチドランカーの影響」も否定できないでしょう。

 私も、ある有名な打撃系の選手の変容を経験しています。その選手は、身体能力も非常に高く、とても人気もあり、華々しく活躍した看板選手。試合の映像も何度もみて、研究した選手でした。私があるプロ興行のリングドクターのときにも、会場のバックステージに頻繁に顔を出していたのですが、スーツをカッコよく着こなし、とても快活で、全身からエネルギーを発散しているようなポジティブな満ちた魅力的な人でした。

  

 それから10年の歳月を経て、ある大会の会場に行った時のこと。「?」と思わざるを得ない、組合せのおかしな異様な服装で、全身からどんより漂う負のオーラ。知らない人にいきなりボソボソと話しかけてる男性がいました。「誰だろう、この人?危ないなぁ」と思い、少し距離を置いて良く顔をみたら・・・、うつろな眼をした、かつての人気選手でした。「え???」ビックリすると共に、あまりの変貌ぶりに、言葉を失いました。その方の周りには、若手が数名付き添い、周囲と本人に気遣うような状態。全くの別人になってしまった彼との再会に、涙がこぼれました。

 他にも、うつ状態になって自殺に至った有名選手や、現在もドランカー症状に悩まされる元ファイター、一方的な決めつけですぐに激怒し、怒鳴りつけたり暴行を行うような易怒性(いどせい)のある指導者の話も耳にします。パンチドランカーは、現役中にはわからない。現役が終わって何十年かして嫌なお土産として選手に降りかかるシャレにならない「パンドラ」の箱。だからこそ、現役中の過ごし方と、指導的立場の方の姿勢、そして正しい医学的知識の有無が大きく影響します。

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パンドラ、の箱

パンチドランカー(2)偽物の指導者、本物の指導者

パンチドランカー(2)偽物の指導者、本物の指導者 - 格闘技医学会 Society Of Fighting Medicine

 

Dr.Fの格闘技医学(秀和システム)より

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戦うナース VS 格闘技ドクター 正道会館・納江幸利支部長とDr.F(2/2)

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脳震盪を甘く見てはいけない

 

―――確かに、あの勢いは誰も止められなかったですね。

 

Dr.F ピンポイントの打撃に対して打たれ弱かったとはいえ、リングよりも圧倒的に広いフィールドで、超巨体で走り回った運動経験がありますからね。納江支部長は、ご自身の練習や御指導において、他のジャンルからのノウハウを生かす、ということはございますか?

 

納江 本当にラグビー選手のフィジカルは凄いと思います。ラグビー選手とは喧嘩しない様に!って思ってましたから(笑)僕自身は、みんな驚かれるんですがスポーツの経験は殆ど無いんです。中学生の時はテニス部を半年で辞め、高校の時はサッカー部を1週間て辞めましたから(笑)唯一継続しているのがカラテだけなんですけど、運動神経は悪い方では無いと思います。

 経験は無いですけど、僕が現役の頃は勿論、今もですが空手に活かす専門のトレーニングの本などが殆ど無い様な状態でしたので、陸上やフィジカルトレーニング、ウェイトリフティングなどの本を読んで、筋肉の付け方や栄養の取り方など色々試しながら稽古をしていました。1番参考にしていたのは格闘技雑誌の記事で、有名選手の稽古方法などを真似していました。

 

Dr.F ラグビー部のお話、よくわかります(笑)あの強靭さは半端ないですよね。当時、複数相手のトレーニングやラグビー部の選手に教えてもらったタックル練習を道場に導入したのを覚えています。おっしゃるとおり、納江支部長や僕らの世代は特に、今ほど練習方法が確立していなかったですし、今のようにインターネットでトップ選手の練習が無料で見られる環境ではなかったですから、その分、貪欲に強くなるための情報を漁っていた、という側面はあるかも知れないですね!

   一方で、納江支部長は、看護師でもいらっしゃいます。医学を学んだり、実際に患者様と接する中で、格闘技や武道の世界とのギャップを感じられることはございますか?

 

【感染の恐ろしさ】

納江 医療の世界では「スタンダードプリコーション」という考え方が有りまして、「患者の汗を除く分泌物(血液・体液)、排泄物、傷のある皮膚、粘膜などを感染の危険を有するものとみなす。」というきまりがあるわけです。なので、医療や介護の現場では血液や排泄物を触る時は若しくは触れる危険性がある時は必ずディスポーザブル(使い捨て)の手袋をして接触します。ですが、今の格闘技界にそいうい概念は殆ど無いと思います。子供でも親からの垂直感染で、何かしらの感染物を持っているかもしれません。打撃での怪我での出血や鼻血などを素手で触ると、自分が感染してしまうリスク、そこから家族や身の回りの人に感染させてしまう可能性があるわけです。なので、僕はバッグの中にディスポーザブルの手袋を忍ばせています。滅多に使うことはないのですが、いざ!という時もあるわけですから。

 それと、足を挫く事や突き指なども時々あるのですが、整形外科に勤務していた時にテーピングの基礎を習ってますので、簡単な固定はしています。テーピングはある程度勉強させている指導者の方は出来られると思うのですが、現状として少ないと思いますし、血液や排泄物などへの対応は、医療従事者では無いと知らないのでは無いでしょうか?UFCのレフェリーやセコンドは必ずディスポの手袋を使ってますが、今の日本の格闘技や武道界はそこまで感染に注意していないように感じています。

 

Dr.F おっしゃる通り、僕も格闘技界・武道界における感染症リスクへの意識の低さについては危惧しており、こちらの連載はじめ、SNSなどでも格闘技医学情報として発信してきました。 

www.facebook.com

 

納江支部長はじめ、安全面にも意識の高い先生方も情報をシェアしてくださったり、勉強会に足を運んでくださったりするようになったのは喜ばしいです。ただ、安全面も指導もそうなんですが、積極的に情報に触れてアップデートしていく方と、旧態依然とした考えに留まる方のギャップが大きいことが気になります。リングで出血があってもタオルかなんかで拭いていますし、試合会場の控室に行けば、血液の付着したティッシュが普通のゴミ箱に入っています。

 選手はもちろんですが、レフェリーの皆さんでさえB形肝炎ウイルスの予防接種も行っていない方もたくさんいるのが現状です。医療の世界やUFCでは当たり前のことが、日本の格闘技や武道ではまだまだ遅れているし、「流血しながらも頑張った」が勲章のように取り扱われている傾向が僕もとても気になっています。試合だけではなく練習の環境も怖いですね。サンドバックや砂袋に付着した肝炎ウイルスは数ヶ月生き続けることがありますし、ウイルスと細菌は全く別ものなのですが、「うちは除菌してるから大丈夫です」という感じになってしまっています、、、。ウイルスには通常の消毒液類は効かないのですが、、、。納江支部長が実践されているようなノウハウであったり、正しい知識や情報もしっかりと共有していくべきだと思っています。

 

納江 感染に関する情報共有は急務ですね。僕の愛読書である、エキスパートナースの8月号でも感染対策の特集が組まれてまして、タイムリーだなぁと思ったんですがウイルスにはアルコール消毒では不十分で次亜塩素酸ナトリウムという、所謂ハイターでないと効果が無いウィルスかいます。嘔吐下痢症で有名なロタウイルスは、その最たるもので、アルコールでは効果なし!しかも、感染性持続期間は6日〜60日という長さ。床に付着しても飛沫して感染する恐れが高いウイルスなので危険性は高いですよね。日本のジムや道場での感染症対策は経営者の知識不足、勉強不足も有りますが、啓発もしていかないと、認識が広まらないですよね。先生のスタジオでは、その辺りをどの様にされているんですか?

 

Dr.F 怖いですよね・・・嘔吐や下痢でも、身体の小さな子供や少年部の選手の弟さん、妹さんに感染したら、身体の予備能が小さいだけに致命的な場合もありますからね・・・。納江支部長のような立場の方からのご提言・ご発信は凄く有意義だと思います。僕のスタジオでは、「予防に勝る治療なし」の具現化に取り組んでいます。いろいろ試行錯誤してきた結果、「練習で怪我をする」、「練習で出血が起きる」ということがあってはいけない、という前提でメニューやシステムをつくっていますね。出血の傷がもしある場合は基本的にスタジオに来てはいけないんです。出血が伴う可能性がある場合、完全に密閉してもらい、コンタクト練習は禁止、シャドーだけ。厳しいようですが、競技で結果を出すために、1リスク管理、2セルフコントロール、3練習相手への配慮、を掲げています。

 

【練習での安全管理】

――練習相手の配慮は大切ですね。関西方面のある道場では、現役トップ選手が普通の稽古生を実験台にして内臓破裂が起きた、という話も伝わってきます。

 

Dr.F なんでそんなことが起きちゃうんですかね・・・。

 

納江 ・・・言葉を失いますね・・・。

 

Dr.F 納江支部長のように、安全意識の高い指導者が増えるといいんですが・・・。道場生の健康を守る、という意味で、他にはどのような取り組みをされていますか?

 

納江 脳震盪ですが、先生が提唱されている様に「セカンドインパクトが危ない!」という意識を持っています。うちではハイキックなどがヒットすると、必ず稽古を中断して休ませます。そして、頭痛や吐気などの症状が無いかを小まめに確認し、保護者の方にも必ず脳神経外科を受診するようにお伝えする、もしくは僕もそのまま病院へ付き添って受診させるようにしています。事例としては滅多に無いことですけども、コンタクト練習を行う以上、起きうることですので、細心の注意をしています。これも看護師としての知識や経験が生きていますね。

 僕の道場の責任者で古川という普段は作業療法士として施設でリハビリをしている指導者がいるのですが、彼もリハビリのプロなので、その辺りの意識が強く、道場生がハイキックをもらった時には、近くの総合病院へ連れて行ってくれたり、受診を積極的に行ってくれたりしています。幸い何事も無かったんですが、その意識を持つ事が指導者としては大切かと。

 

Dr.F 素晴らしいですね。こればっかりは、「疑う」ところがスタートになりますよね。脳に関して、また怪我やダメージに関して、「間違った経験則」くらい邪魔になるものはありません。「そのくらい大丈夫」って言ってる人は、たまたま頑丈だったか、運が良かっただけ。納江支部長や古川さんの動きは、これからスタンダード、お手本になるべき事例です!

 

納江 ありがとうございます。これも、先生や格闘技医学会さんが、正しい情報をずっと発信し続けてきてくださったからです。

 

【試合指向の弊害】

―――お二人のご提言、お話はとても興味深く、今後の格闘技・武道の世界にとっても重要なことだと思います。それでは、読者の皆様へのメッセージと、今回の対談の総評をお願いします。

 

納江 僕の道場は礼儀・挨拶佐賀県No.1♪を謳い文句にしているのですが、大きな声で返事や挨拶はとても厳しく指導しています。カラテの道場は試合志向の道場が多いと思うのですが、僕は「試合は飽くまで空手稽古の一貫であり、全てではない」と指導しています。僕自身も試合に出る事で成長させて頂いたし、試合に出た方が早く強くなれます。しかし、試合を重視してしまうと燃え尽きるのも早い様に思います。

 うちは年間3大会と出場制限をしていますが、他流派さんでは毎月だったり、毎週大会に出場させている、という風に聴いた事も有ります。それでは休む暇が有りません。子供は回復が早いので今は良いのでしょうが、疲労や怪我は段々と蓄積していき、大人になった時に色んな障害が起こる可能性があると思います。子供達はいづれ社会に出ていくわけです。その時に大きな声で挨拶や返事が出来る。しっかりと礼儀が出来る。自分で考えて行動する事が出来る。困難事例に逃げずに取り組む事出来る。こういう事をカラテで身に付けて貰い社会に出た時に役立てて貰いたいと考えています。

 「進化する空手」を通じて、自分で進化していく楽しさも学んで欲しいですね。お陰様で、うちの道場は中学生になっても続けてくれる子がほとんどです。口だけで指導をする先生になり下がらない様に、率先して前に出て道場性を引っ張って行く指導者であり続けるために精進して行きます。

 今回の対談の様な貴重な経験をさせて頂き、二重作先生には感謝の念で一杯です。自分も対談や交流を通じて成長させていただいている感じです!先生には、医学的観点からのスポーツ全体に影響する医学の本を出版して欲しいと願っています。またファイト&ライフさんのように、ライフを真剣に考えてくださる専門誌の存在が有り難いです。機会をいただきありがとうございます。

 

Dr.F 現場の経験を生かして仕事や道場に生かされていらっしゃる納江支部長のお考えや経験を伺えて、とても意義深かったです。僕も日々医療の現場にいて、ナースの皆さんの観察力、洞察力、患者様の心理を把握する能力は、プロとして凄いものがあります。人間にフォーカスした納江支部長のカラテ観にも大いに共感いたしましたし、僕自身、対談を通じて学ぶことがたくさんでした。きっと読者の皆様にも響くヒントがたくさんあったのではないでしょうか?微力ながら、現場で正しく格闘技や武道を伝える方々をこれからも応援させていただきたいと意を新たにしました!スポーツ医学の宿題も、受けとりました。押忍!

 

戦うナース VS 格闘技ドクター 正道会館・納江幸利支部長とDr.F(1) - 格闘技医学会

(ファイト&ライフより)

 

 

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戦うナース VS 格闘技ドクター 正道会館・納江幸利支部長とDr.F(1/2)

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Dr.F VS 正道会館・納江幸利支部

 

・医療の現場と格闘技・武道のギャップとは?

・血液・出血をどのように取り扱うべきか?

・練習での脳震盪への対応とは?

 

戦うナースであり、指導者としても責任を負う、正道会館・納江幸利支部長と、

格闘技医学会代表・Dr.Fのガチンコ医療従事者対談が実現。

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【戦うナース、戦うドクター】

――今回は戦うナース、正道会館の納江幸利支部長をお迎えしての特別編です。まず、お二人の出逢いからお聞かせいただけますか?

 

Dr.F   納江支部長とは、九州の友人を介して知り合わせていただきました。入口はカラテではなく、医療だったんです。看護師として医療現場で働いていらっしゃる方で、「正道の支部長をされている強いカラテ家がいる」ということで非常に興味を持ちまして、僕が九州に帰郷した際に引き合わせていただいたのがご武縁のスタートです。

 

納江 僕は以前から格闘技雑誌などで二重作先生の存在は知っておりました。

地元の知り合いから二重作先生を紹介して頂いた時はミーハーながら舞い上がったのを覚えております。先生の存在を知り、僕も看護師として整形外科の経験もあり、少しは医学的な知識が多少は有ったので、医学的な面から格闘技を研究されているのに感銘を受けていました。

 

――お二人には共通点があったわけですね。一緒に練習されたりする機会はあったのですか?また初対面時の印象は?

 

納江 二重作先生とのファーストコンタクトは、九州の道場で行われた格闘技医学講座の場でした。そこで先生はまず、スパーリングをされたんです。普通、ドクターはスパーリングしませんからその理由を伺ったら、「直接的なコンタクトで相手を知る、情報を入力するためです。」とおっしゃられてビックリしました。顔はニコニコとされているのに、二、三手組んだ後に、突然、上段回し蹴りを貰いました。その時に、軽い気持ちでやっては倒されると思い、本気モードに気持ちを切り替えた記憶が有ります。

 

Dr.F  そうでしたね!懐かしいです。納江支部長は謙遜されておりますが、ご自身のスタイルが確立されてて、「容易には崩せない」と直感したのを今でも鮮明に覚えています。そして、「フィジカルな強さ」と「カラテの技術」の両方を兼ね備えた組手をされていたのが印象的でした。「強くて、上手いカラテ」のタイプですから、体力でぶつかったらカウンターもらいますし、技に頼ったら押し切られる・・・。結局、最後まで有効な攻略方が浮かびませんでした。実は困り果てててたんです(笑)

 

納江 そうだったんですね(笑)気が付きませんでした。

 

Dr.F 向きかった瞬間、強いのすぐわかったんで、お茶濁すのが精一杯でした(笑)そのあとに意見交換をさせていただいたとき、医療者としてのマインドとカラテ家としての強さを兼ね備えていらっしゃるのがとても印象的でした。そのようなこともあって、どんな指導をされているんだろう?安全について現場でどう対応されているんだろう?という興味が湧いてきて、気がついたらSNSや電話で「納江支部長、この問題、道場でどうされてます?」みたいな連絡をしたりしながら、ご縁が積み重なってきておりました。

 

納江 僕のほうも、「反射や重力の使い方」、「目線を何処に置くと強い蹴りや突きが出せるのか?」など、正に目から鱗な格闘技医学を体験させて頂き、勉強になりました。自分では知らず知らずのうちに使っていた身体の使い方を、二重作先生は医師の視点、空手家の視点の両方から研究され、それを言語化された事が凄いと思います。身体の使い方を言語化するって、とても難しいですから。

 

 

【安全面における正道会館の先見性】

――医療者として出逢ったお二人が、カラテを通じてさらに理解と親交が深まったわけですね。今回のテーマとして伺いたいことはたくさんあるのですが、安全面についての工夫や心がけなどがあったらぜひ教えてください。

 

納江 正道会館石井館長が安全面への配慮を物凄く考えておられ、「道場での安全な環境を整えるように!」とか、「指導員は組手に入らずみんな組手を観て回り、危ない時は直ぐに止めれるように!」といった指導を受けています。うちの道場は常設ではなく、公共施設を借りていて、ジョイントマットなどが使用できませんので安全性には特に気をつけています。組手はなるべく入らない様にして、全体の把握に努めています。また、組手の時は軽い組手の時でも、拳や脛サポーターは勿論ですが、心臓震盪の危険性もありますから、胸ガードと、上段回し蹴りを貰った時や転倒した時の予防にヘッドガードは必ず着けさせています。

 それと、最近は本当に蒸し暑く、体育館などは空調が無いですから、業務用扇風機を買って来て人口の風を流したり、稽古中には、いつもより小まめに休憩を入れたりしています。それと並行して、全体を見ながら、体調の悪そうな子は居ないか、顔色や唇の色などを看護師とさの視点から観察し気をつけて居ます。この時期、水分補給は大事なんですが、普通の水道水だと脱水になるので出来ればスポーツ飲料水を持ってくる様に、または水道水に塩と砂糖をどのくらい入れて持ってくる様にとの指導をして居ます。これは看護師だから出来る配慮かもしれません。この点は、僕の管轄道場の指導員全員に徹底させています。

 

Dr.F  納江支部長の、正道会館会館の支部長としての自覚、そして看護師としての視点は、生徒さんや保護者にとっても安心材料に感じます。もちろん、格闘技・武道なのでリスクはゼロにはなりませんが、ゼロに近づける努力をしているかどうか、は非常に大切ですよね。今、心臓震盪という言葉が出ましたが、心臓震盪への取り組みについても正道会館はとても早かったように思います。

 僕も数年前、全国支部長会議の講師として招いていただき、講義をさせて頂く機会に恵まれたのですが、当時、ドクターを招聘してリスク管理に本格的に取り組まれる団体はありませんでしたし、心臓震盪という言葉自体も、格闘技界においてほとんど知られていなかった頃です。その時に、石井館長自ら、身体を動かしながら、道場で起きうる危険な場面をケーススタディーをシェアするように説明されたシーンは今でも忘れられません。「生徒さん、習う側にしっかりと焦点が当たっているなぁ」と。いわば「正道会館の気風」みたいなものを感じたわけですが、そのあたりのこともぜひ伺ってみたくて。

 

納江 はい、私が空手を始めた頃はノーサポーターの時代で、怪我をして強くなる!という空手界の気風があった様に思います。そこに正道会館ではサポーターを着けて練習をしていると聞き、最初は「軟弱な!」なんて思っていたわけですけど、実際サポーターを使って練習すると、怪我かとても少なくなります。怪我が少なくなると練習する回数も増えます。練習する回数が増えると、それだけ強くなれるわけなので、非常に合理的だなぁと。その合理的な空手をぜひ習いたい、稽古したい、強くなりたい!と他流派の黒帯でしたが、白帯に戻り正道会館に入門させて頂きました。

 

【カラテ家としてのプライド】

Dr.F なるほど、サポーター=軟弱、という認識から、サポーター装着による合理性に目覚められた、というわけですね。確かに一昔前までは、「もっと強くなりたいけど、脛や足が痛くて、練習はもちろん日常生活にも制限が出てしまう」という状況はありましたね。今よりも「道場」の敷居がはるかに高かったというか、入門希望者も一大決心をして道場の門をくぐるような・・・。そんな時代背景も手伝って、「強くなるためにカラテなのに怪我のために、学校生活や仕事、家庭に支障が出てしまう」その結果、「カラテは好きなのに続けられない」「会社や家庭でのカラテの印象が悪くなる」という負のループはあったかも知れませんね。納江支部長ご自身は、正道会館入門前も含めて、社会の価値観とカラテの価値観のギャップを感じられたことはありますか?

 

納江 そうですね。高校を卒業して勤めていた会社の先輩から、「空手なんかやって楽しいのか?女にモテたいからやってるんだろ?(笑)」と言われた事を覚えています。その時は、空手が侮辱された気がして腹立ちました!また、空手の稽古があるから定時に帰りたいなどとは中々言えなくっていつも稽古の終わり頃から参加していました。自宅でも母親から、試合に出るのは危ないから止めろ!とか言われてました。二重作先生は小さい頃から空手をされていますが、進学校に入学しながらのカラテは大変では無かったですか?

 

Dr.F 納江支部長にも、道場外での風当たりがあったんですね。カラテが侮辱されるのは耐えられない、という気持ち、共感を覚えました。幸い、僕の出身の東筑高校は県立の進学校でしたが、甲子園に出場するくらい、文武両道が当たり前の校風だったので、逆に燃えましたね!野球部やラグビー部が甲子園や花園出場を目指してガチでやっていたので、「ただカラテやってる」だけでは通用しない雰囲気なんです(笑)

 フルコンタクトカラテは部活と違い、「習い事」の範疇になってしまうため、学校の名前を背負ってませんから、その分、しっかり結果出さないとなめられちゃう。いわば、僕がバカにされたらカラテがバカにされる、というプレッシャーみたいなものが、カラテにも勉学にも生きたように思いますね!試合に出たら出たで会場で「東筑のやつに負けたらいかんバイ!」ってヤジられてました。部活じゃないのに(笑)

 

納江 二重作先生の出身校は本当に凄い学校だったんですね〜。自分がバカにされたらカラテがバカにされる!という気持ちがとても分かります。僕は工業高校だったんですが、うちの高校はラグビーが強くって、毎年花園に出場するくらいの佐賀では強豪校でした。野球も僕が3年の時に甲子園に行く様なスポーツは盛んな高校だったのですが、僕の科は電子科という、わりと大人しい科だったので、そんな雰囲気は無かったですね。他の科は殺伐とした科もあったみたいですが。

 

Dr.F ラグビーの強い学校だったんですね!毎年花園に行くって相当凄いですよ。ラグビーやアメフトの選手って体力ハンパないですよね。格闘技は1対1が前提ですけど、彼らは1対複数や複数対複数が前提の中で日常コンタクトしています。高校の体育の授業でラグビーをやったときに、カラテや柔道とは異質の、複数かつ多方向から同時にかかる負荷を体験したときに、これは半端ないな、と。アメフト出身のボブサップ選手が日本のリングで大暴れした理由は、そのあたりにもあるなぁ、と。

 

(2)へ続く

戦うナース VS 格闘技ドクター 正道会館・納江幸利支部長とDr.F(2) - 格闘技医学会

 

 

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格闘技医学会とは?

・格闘技医学会とは?

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 A病院とB病院が、経営上はライバル病院だったとします。どちらも医療や患者サービスの質を競うわけですが、A病院の内科医もB病院の内科医も、「内科学会」でも学んでいます。医学の世界の学術集会は、所属やライバル関係を超越して、「医療の質の向上のために、みんなで知恵を出し合おう、研究発表や勉強会を通じて全体の向上をはかろう」という主旨の中立的機関です。それぞれが学会で得た最新情報やノウハウは、各病院に持ちかえられ、患者様にフィードバックされます。結果、A病院もB病院も医療の質が向上し、主体である患者様の健康が促進されます。

 医学は、もの凄いスピードで進化していきます。薬も手術法も治療法も、革新に継ぐ革新であり、スタンダードがすぐに取って代わられることもしばしばです。ひとり経験則では、到底追いつかないですから、他人の経験を自分のものとして取り込む「集合知」の存在が重要性を帯びてくるのです。

 格闘技医学会は、格闘技・武道の安全性向上、パフォーマンス向上、社会的地位向上を目的とした研究機関です。指導者、世界王者を含む現役選手、格闘技経験を有する医師・理学療法士・看護師・弁護士など志ある有識者から構成され、日々研究やディスカッションを通じて医学的エビデンスが蓄積される「進化するスポーツ医学」のシンクタンクです。メンバーは、最新の情報にアクセスし、道場やジムで実践します。そこで得られた経験は、知識として再び共有されます。ジャンルや流派、背景、国籍、人種を問わず、むしろそれぞれの「違い」を尊重しながら学び合う場、格闘技医学会。海外でも格闘技医学への関心が急速に高まっており、新しい流れとなっています。