スポーツ安全指導推進機構/格闘技医学会

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パンチドランカー(1)~脳の砂漠化・真の恐怖・症状~

【脳の砂漠化】

 

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 格闘技における脳への影響で有名な、パンチドランカー。パンチドランカーとは、慢性的な衝撃を受け続けることで、脳細胞が死んでいく病態のこと。格闘技をやらない人でも、「使わない脳細胞」は必要が無いためどんどん死んでいきます。1990年代までは、「脳細胞の数は年齢と共にどんどん数が減っていき増えることはない」が定説でした。しかしながら2000年にイギリスの神経学者マグワイアが「海馬(記憶に関わるエリア)の脳細胞は成人しても使えば使うほど増える」という研究結果を発表。現在では「使えば使うほど海馬の細胞は増える可能性がある。使わない細胞はどんどん死んでいく」ことがわかっています。

 脳細胞の数は、およそ1千億個。海馬の神経細胞の数は、その1万分の1と言われていますので、脳全体として脳細胞の全体の数は減ってしまいます。脳細胞は、細胞核を取り囲む細胞体と、そこから手足のように伸びた樹状突起シナプスで他の細胞とつながりネットワークを構成しています。脳に慢性的に衝撃を受けると、脳細胞自体が死んでしまい、「繊維」にどんどん置き換わってしまいます。まるで緑と水に囲まれた豊かな森が「砂漠化」していくように・・・。格闘技やコンタクトスポーツで脳に衝撃を受け続けると、脳の細胞が死ぬスピードは極めて速くなる。これもまた、格闘技や武道が内包するリスクのひとつです。

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脳の砂漠化

 

 【パンチドランカー、真の恐怖】

 困ったことに、パンチドランカーの症状は、現役中に出ないケースが多いのです。パンチドランカーの症状がどんどん表に出てくるのは、50歳を過ぎてから。現役中に出てしまっている場合は相当深刻です。20代の若い現役選手同士が、「お前、パンチドランカーじゃないよな、あはは」「僕は大丈夫です」なんて無邪気に笑っていたりしますが、本当に怖いのはあと数十年してから、という話なのです。

  では、なぜ若いときパンチドランカーの症状が出なくて、時が経ってから表出するかというと、若いときは脳細胞の数自体が多いので、多少脳細胞が死んでしまっても、元気な細胞の割合が圧倒的に高いため、症状がほとんどマスクされて表に出てきません。しかしながら、50歳ぐらいになると、普通の人でも使わない脳細胞が減っていくため、今度は脳細胞がなくなったところがどんどん目立ってくるため、と考えられています。

こちらは正常と異常の脳のCT写真ですが、正常は脳の実質がしっかりと詰まっているのに対し、脳の萎縮を伴うCTは、隙間(黒い部分)が多くなっています。

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正常

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脳の萎縮あり

 

【パンチドランカーでみられる症状】

 身体の震える、呂律が回りにくい、バランス感覚が悪い、手先が不器用になった、の喪失、物忘れがひどい、集中力が落ちた、判断力が低下した、感情がコロコロ変わる、うつ的で悲観的、暴力や暴言、攻撃性が強く怒りっぽい、社会性に乏しく幼稚な傾向、性的羞恥心の低下、病的な嫉妬、被害妄想的などなど。

パーキンソン病のような運動障害からシャレにならない精神障害まで、恐ろしい症状のオンパレードです。引退して何十年か経った選手が犯罪を起こしたり、暴力沙汰を起こしたり、ドラッグに手を出したり、元人気選手が自殺したり、という悲しいニュースを耳にします。本人の元々の疾患や素因、環境などの問題もあるとは思いますが、「パンチドランカーの影響」も否定できないでしょう。

 私も、ある有名な打撃系の選手の変容を経験しています。その選手は、身体能力も非常に高く、とても人気もあり、華々しく活躍した看板選手。試合の映像も何度もみて、研究した選手でした。私があるプロ興行のリングドクターのときにも、会場のバックステージに頻繁に顔を出していたのですが、スーツをカッコよく着こなし、とても快活で、全身からエネルギーを発散しているようなポジティブな満ちた魅力的な人でした。

  

 それから10年の歳月を経て、ある大会の会場に行った時のこと。「?」と思わざるを得ない、組合せのおかしな異様な服装で、全身からどんより漂う負のオーラ。知らない人にいきなりボソボソと話しかけてる男性がいました。「誰だろう、この人?危ないなぁ」と思い、少し距離を置いて良く顔をみたら・・・、うつろな眼をした、かつての人気選手でした。「え???」ビックリすると共に、あまりの変貌ぶりに、言葉を失いました。その方の周りには、若手が数名付き添い、周囲と本人に気遣うような状態。全くの別人になってしまった彼との再会に、涙がこぼれました。

 他にも、うつ状態になって自殺に至った有名選手や、現在もドランカー症状に悩まされる元ファイター、一方的な決めつけですぐに激怒し、怒鳴りつけたり暴行を行うような易怒性(いどせい)のある指導者の話も耳にします。パンチドランカーは、現役中にはわからない。現役が終わって何十年かして嫌なお土産として選手に降りかかるシャレにならない「パンドラ」の箱。だからこそ、現役中の過ごし方と、指導的立場の方の姿勢、そして正しい医学的知識の有無が大きく影響します。

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パンドラ、の箱

パンチドランカー(2)偽物の指導者、本物の指導者

パンチドランカー(2)偽物の指導者、本物の指導者 - 格闘技医学会 Society Of Fighting Medicine

 

Dr.Fの格闘技医学(秀和システム)より

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