スポーツ安全指導推進機構/格闘技医学会

スポーツの安全情報、医学情報を発信。

Twitterと格闘技医学

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ーーーDr.Fのツイッターでのご活動について教えてください。

 

 ツイッターのアカウントを取ってスタートしたのはだいぶ前だったんですが、フェイスブックやインスタグラムなどいろんなSNSが出てくる中で、情報をどう発信していけばいいのかという悩みは常にあったんです。結局、知ってもらわないと進んでいかないことって山ほどあるんですが、フェイスブックはある意味閉じているというか、アカウントを持っていて僕のことを知っている方でないとなかなかアクセスできないという弱点がありますよね。

 

 一方でツイッターは、僕のことは何も知らなくても内容が気になるという方にも拡散できるというメリットがあります。そこでツイッターで、短い文章と画像によってまず情報を共有して、「知ってもらう」というところで何かが動き出さないかなと。そう考えて、2019年3月より、きちんと取り組むようになりました。

 

 もちろん、難しい側面もあります。まず第一に文章が短いこと。扱う話題が「命や健康に関わること」も含まれるので、ちゃんと説明しようとするとどうしても長くならざるを得ないんですよね。それから、多種多様な価値観の人が見ているということ。反対意見はあって当然ですし、格闘技医学の情報発信を快く思わない方もいらっしゃるでしょう。それでも知ってもらわなければどうしようもないことが多いので、関心を持ってもらうトリガーとして使わせてもらっています。

 

 テコ入れを始めた時点のフォロワーが2000人ぐらいだったんですが、わずか2~3ヵ月で3500人に増えまして、「知らなかった! 広めないとね」というようなコメントもいただくようになりましたので、ちょっとしたきっかけにはなっているのかなと思います。それから、多くのフォロワーを持って影響力のある方もリツイートしてくれたりするようになりました。著名な方々も、なぜか私のツイートを広めてくださっているというのは非常に心強いし、ありがたいし、もったいないですね(笑)。逆に身が引き締まりますよね。



ーーーなるほど、そのような経緯で、現在盛り上がっている、というわけですね。ここからはいくつかピックアップさせていただきましたので、ツイートの解説をお願いします。

 

 

リングに付着した血液、サンドバッグや砂袋、グローブや衣服に付いた血液には【次亜塩素酸ナトリウム以外は消毒効果が無い】ことは常識として共有されるべき内容。アルコールもリセッシュも肝炎ウイルスには効かない。しかもウイルスは数か月生きる。大会や道場・ジムが感染の温床となってはならない。

 

(Dr.F)格闘技の現場での血液の取り扱い方が、言葉を選ばずに言えば杜撰ですよね。血液が付いていることが鍛錬の証であるというような意識って、まだまだあると思います。血液感染で大変なことになるということ、でも知っているだけで大きく状況が変わる可能性があるということ、そして消毒には次亜塩素酸ナトリウム以外は効かないということが、このツイートを見ていただければ一目瞭然に分かると思います。その後はもう、次亜塩素酸ナトリウムを買ってきてジム、リングサイドに置くだけですよね。

 

 僕が関わらせてもらっている大日本プロレスでも、そうした取り組みは始まっています。他のプロレス団体、格闘技団体も追随せざるを得ない状況になっていると思いますね。「格闘技の現場で血液感染」という事例がニュースになるだけで、業界にとっては大ダメージになりますよね。そこをしっかり考え直していこうよという意味で、このツイートをさせていただきました。あともう一つの意味は、「知っているだけで人の命、人の運命を変えられる知識がある」ということの表明でもあるかなと思っています。




人間は否定語の処理が苦手。「怒らない」は「一度怒る様子を想起してから打ち消す」イメージとなる。怒らない、と頭の中で唱えるほど、「怒る」が増幅してしまう。「怒らない」よりも「常に穏やかに」のほうがイメージしやすい。「廊下を走るな」なら「廊下は適度な速度で」。言語の最適化は大切。



(Dr.F)指導の場だけでなく、家庭や学校でも「否定語+命令」という声かけをしてしまうことは非常に多いと思います。「下がるな!」と言われると、人間の脳は一度、下がるイメージを作ってから打ち消すんです。それよりも「1センチ前に出ろ!」と言われた方がいいわけです。「負けるな!」と言われると負けをイメージしてしまうので、それを言うぐらいなら「ここを何とか凌ごう!」と言う方が肯定的だし、適切な行動が見えてくるんですよね。

 「負けるな!」って言われても、そりゃあ負けたくはないですよね(笑)。「負けるな!」とか「諦めるな!」というのは本人に帰属することであって、周りから言われても苦しいだけなんですよ。だから言葉というよりも、その背景にある思念の伝え方によって大きな違いが出てくるんです。表面上でいえば「言葉の選び方」、もっと深く言えば「思考」ですよね。

 

 生徒や弟子はもちろん、自分の子供であっても、やっぱり他人ですから。そこに気持ちを伝える時に紡ぐ言葉が否定語というのはどうなのかということですよね。「戦争はいけません」というのも、やはり一度は「戦争」をイメージすることになるわけで、それは果たして脳にとっていいことなのかどうか。

 

 このストレスフルな現代社会にあって、ネガティヴな言葉に引っ張られる、ってことはあると思うんです。特にSNSが出てきてからは、誹謗中傷やストレスの捌け口としての発信に、歯止めがかからなくなってしまった。

 

 そういう中で、頭の中にある言葉を見直す、特に否定語を極力排除していくというのは、脳の機能にもプラスだと思いますし、行動にもつながりやすいと思うんですよね。脳の中に「さざ波の立っていない、きれいで静かな湖」があるようなイメージであれば、イヤなことがあっても瞬間的にそれを思い出すことによって、変わってくる気がします。



大自然の中に身を置くと心身の調子が良くなることがあるが、森林浴を通じて免疫系に関わるNK細胞(ナチュラルキラー細胞)活性が上昇した、抗がんタンパク質の濃度が上がった、という実験結果がある。木々の葉が擦れる微小な音の波が、脳や身体にプラスに作用するのでは、と推察されている。

 


(Dr.F)格闘技は特に室内競技の要素が強いので、時々でも大自然の中に身を置くことは大事ですよね。合宿とか寒稽古とかがそれに当たるんでしょうけど、それ以外のタイミングでもやる必要があると思います。グレイシー一族なんかはこういうことを伝統的にやっていたわけですが、人間の耳には聞こえないぐらいの波動が脳にはすごくいいと言われていますし、そこに希望を持っていいのではないかという気はします。

 

 僕も含めて、今、多くの人たちが寝る前やヒマな時に何をしているかというと、スマホを見ているんですね。これは僕自身の体験なんですが、スマホを見ている時に操作を間違えて、カメラで自分の顔を撮ったことがあったんですね。その写真を見ると、すごい顔になっているんです(笑)。顔のパーツがギューッと中心に寄ってしまっているんですね。そうなってしまっている人は少なくないんじゃないかな。

 

 戦うということは遠くも見なければならないはずですが、数十センチ先ばかりをジーッと見ているというのは、目にも悪いし脳にも悪いですよね。ただ、スマホなしでは生活が成り立たない時代になっているのも事実ですから、せめてスマホやPCなしの時間を積極的に作っていく必要があると思って、これを書きました。

 

 現代はいわゆる「科学トレーニング」も発達していて、そうなると室内で行う割合が増えそうですが、「科学」とはそもそも宇宙とか地球とか、この自然を理解するためのツールだったはずなんです。だから「科学」=「人工的なもの」「研究室内でのもの」というのは決して正しいイメージではないんですよね。その意味で「科学的トレーニング」を「自然」と対立させてはいけない気がします。

 

 なぜこのツイートを書いたかというと、「練習すればするほど強くなる」という幻想がまだまだ根強いからなんですよね。強くなるためには、例えば練習から離れて釣りに行ったり、うまいものを食べに行ったりということも必要だし、その効果は大きいんですよね。だから道場に閉じこもるのではなく、「人として強くなる」環境にも身を置く必要があると思ったんです。



KOは「戦いを終わらせる技術」に他ならない。判定勝ちしか狙わない選手は自分の戦いを自分で終わらせてない。時間が来れば第3者が勝敗をジャッジする。そうなると、どうしても「勝ってるように見せる技術」が混じる。倒せる選手が人気なのは、派手なだけじゃなく「KOの困難」に向かっているから。

 

 

(Dr.F)KOはやっぱり格闘技の華だしカッコいいものだし、僕も46歳の今になってもそれを追い求めている部分があります。

 最初から倒すのは諦めて、ポイントで勝つとか、勝っているように見せることも可能ではあります。例えばヒザ蹴りを入れる時だけ気合いの声を出せば、見ている人にビジュアルだけでなく聴覚でもアピールしているから、旗が上がりやすいんです。あるいはワーッと攻め込まれた時に、最後に一発だけドンと返せば、すごく効果的に印象づけることができる。そういう、「強く見せる」技術を追求していくことは、それはそれでメチャクチャ面白いんですよ(笑)。

 でも、チャンスがあればいつでも倒しに行くという選手は、やっぱり人気が出ます。それは、難しいことに挑戦することで共感を呼ぶからなんですよ。大事なのは「倒しに行く」というマインドですよね。

 それに、勝負を自分で終わらせるというのは格闘技、武道の本質だと思うんですね。戦いというのは、長引けば長引くほどよくないんですから。それに、例えば3分5Rの試合でも、開始10秒でKOすれば自分で試合を終わらせることができるわけですが、5Rが終了した時点で、そこに判定という形で他人(ジャッジ)が入ってくることになります。そこに自覚的だろうかということです。

 それと、これは少しツイートから離れますが、セコンドがタオルを投入すること、レフェリーが迅速に試合を止めることが、もっと評価されるようにならなければいけないと思っています。意志に反して試合を止められた選手は不満に思うでしょうが、選手生命と安全のためにはそれが大事だということを、もっと認識されるようになってほしいですね。



例えば蹴りの練習の時、人間は10回蹴ると決めた時点で「10回蹴れるような強度に」調整してしまう。さらに「6まで来た」「7まで来た」って思いたくなくても浮かんできてしまう。そこでオールアウトで追いこむときは全部号令を「1」に変え、脳が回数を計算できないようにしている。

 



(Dr.F)10回蹴るために無意識に強さを調整してしまうのは、「10」という数字をもともと知っているからなんですよね。それを避けるには、自分の脳を騙さないといけない。「1」「1」「1」とだけ数えていれば、自分では何回蹴ったのか分からなくなりますよね。その上で第三者に遠くから数えていてもらう方が、オールアウトで追い込みたい場合には効果的だと思います。

 

 あるいは、「1!2!3!4!」という号令とともに蹴るのを、3回繰り返すんです。そうすると、「1!」に戻った時に気持ちがリフレッシュします。そうすると、4回×3セット=12回で、10回よりも多く蹴れてしまうんです。

 そのように、数字にとらわれてはいけなくて、逆に利用するものなんですよ。5分3RのMMAの試合を、「15分」ととらえる人もいれば、1Rの5分を「1分・1分・3分」と考える人もいる。それは自由なんです。例えばスタミナに自信がない場合、5分を「2分・2分・1分」ととらえて、最初の2分は徹底的に相手をリサーチすることに使う。次の2分でカウンターを取れるところは取って、最後の1分でそのラウンドを自分の有利な方に持っていくと。

 

 またラスト10秒になったとしても、「あと10秒しかない」と思うか、「10秒あれば倒すチャンスは3回はある」と思うかで、全然変わってくる。そんな風に、時間の区切り方は無限にあるんです。

 

 いい例が、山本KID徳郁vs宮田和幸の一戦ですよね。KID選手の飛びヒザ蹴りで、4秒で終わった試合。もしかしたら宮田選手はもっと時間をかけて、じっくりと攻めていくつもりでいたかもしれない。でもKID選手は、一発で終われば終わらせようという気持ちだった。これも時間のとらえ方の問題だと思います。回数にしても時間にしても、「数字」を上手に使えばもっと面白くなるよという意味でのツイートでした。



「尊敬する武道家は誰ですか?」の問いには「勝海舟」と答えている。勝いわく「剣術の修行」ほど打ち込んだものは無いらしい。剣術で培った胆力で、時流を見定め、重要な決断で民を救い、若い人を育て、維新後もご意見番として活躍。世の中と未来に影響を与えた。武道家の理想形ではないだろうか?

 


(Dr.F)幕末のヒーローというと坂本龍馬を筆頭に、吉田松陰高杉晋作らが人気ですが、彼らはみんな、活躍した時期が短いんです。ある時期ハイパーに活躍しているけれども、短命に終わっている。無理矢理音楽にたとえると、ビートルズはわずか4~5年程度しか活躍していない。それは密度は高いでしょう。

 でも勝海舟は、「事を成すには寿命が長くないといけない」ということを言っています。音楽で言えばデヴィッド・ボウイローリング・ストーンズは活動期間が長いですよね。その間には当然浮き沈みがあるし、何をやってもうまくいかないという時期もあるんですが、そういう人の人生に学ぶといろいろと貴重なヒントが得られるんです。

 

 勝海舟も、後になってやっと評価されるようになりましたが、一時期は国賊ぐらいの扱いを受けたと、本人も言っています。幕末から明治維新後というのは、武家社会から官僚社会になって、世の中の価値観が180度変わったわけですよね。江戸にいた人間からすれば、支配者のお膝元にいたはずが、薩長が世の中を変えたために国賊に転落してしまったわけです。

 薩長からすると勝海舟というのは敵もいいところなんですが、でも彼はちゃんと生き延びただけでなく、西郷隆盛大久保利通といった人たちに「面と向かって文句を言える存在」として活躍したわけです。日本が変な方向に行かないよう、ご意見番として機能した。

 勝自身も、「自分は二生を生きた」と言ってます。二つの人生を生きたということですね。全く価値観が変わった後の世界でも生きながらえて、しかも重要なポジションで活躍したということで、希有な存在だったと思うんです。

 これはある意味、武道家の理想なのではないかと思っています。武道の世界には、「狭い分野の中で収束してしまってはもったいない」と感じられるような逸材がたくさんいます。狭い世界を飛び越えて、一般社会にアクセスして貢献しているような人々もいます。そういった意味で、勝海舟の生き方はすごく参考になると思いますね。

 

Dr.F twitter

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(ファイト&ライフ連載 「格闘技医学」 より)

 

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