スポーツ安全指導推進機構/格闘技医学会

スポーツの安全情報、医学情報を発信。

スポーツ安全指導推進機構とは?

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人生を彩るスポーツ。スポーツ活動を通じて得られる成長、達成感、感動は他では得難いものです。しかしながら危険も伴います。一歩間違えれば命の危険、一生に影を落とす障害を抱えるケースもあります。情報共有・啓蒙・教育によって救える命を救いたい。守れる健康を守りたい。我々、スポーツ安全指導推進機構は、「ライフ・ファースト」のコンセプトの下、海外先進国に比べ大幅に遅れている日本のスポーツ現場の安全性向上をテーマに研究活動を行っています。

 

スポーツ安全指導推進機構とは

ドクター、看護師、理学療法士などの医療系国家資格者を中心に、法律の専門家である弁護士、および各スポーツの指導者で構成される研究機関。スポーツ現場における安全性向上とスポーツによる人生の充実をテーマに情報発信、国内初の「学ぶ指導者の見える化」を推進しています。

 

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Dr. 二重作 拓也

スポーツのおかげで今の自分がある。私もそのような人間のひとりです。練習や試合を通じて得られる強靭な肉体、磨かれる精神、築かれる友情は他では得難いものがあります。だからこそ人間をエンパワーする素晴らしきスポーツ文化で、人生に影を落とすことがあってはいけません。回避可能な事故をゼロにすべく努めること。これもまたスポーツを愛し、スポーツに生かされてきた者たちの責務ではないでしょうか?


料理人が徹底して衛生に気を配るように、整備士が安全を優先するように、スポーツ指導者はまず「ライフ・ファースト」であってほしい。正しい知識の共有で救える命と健康を守りたい。そのような願いから医師・弁護士・理学療法士等の専門家が集い、『スポーツ安全指導推進機構』がスタートいたしました。一騎当千のアドバイザーの皆様からもご指導をいただきながら、次世代に誇れるバトンを皆様と一緒に創造して参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

スポーツ安全推進機構 代表
格闘技医学会 医師
スポーツドクター

二重作 拓也(ふたえさく たくや)

二重作 拓也 Dr.F/Takki (@takuyafutaesaku) | Twitter

 

 

 

 

 

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Dr.鞆 浩康

スポーツ障害の患者さんの診察をしている中で、指導者の存在は非常に重要と感じます。それは、チームによって同じような障害を発生している事が多いからです。ある野球チームでは肘の障害を抱えた子供が多い。あるバスケットボールチームでは前十字靭帯を断裂する学生が多い。逆に優秀な業績を上げ、障害がほとんどないようなチームもあります。そのような差は指導方法や安全に対する指導者の考え方が大きく影響しています。

 本来、障害が発生しにくい身体は同時にパフォーマンスが上がる身体です。指導者はその部分をしっかりと理解する必要があります。特に学生は指導者の考え方や取り組みにより、将来の運命が大きく左右されます。指導者のスポーツに関する考えも目指すものも様々ですが、安全に関しては選手の将来をしっかりと考えて必ず取り組まなければいけない事だと強く感じます。スポーツ安全指導推進機構が、そのツールの一つとして皆様のお役に立てるよう、私も「選手ファースト」「ライフ・ファースト」でしっかりと協力させて頂きます。


オルソグループ 整形外科
 鞆 浩康(とも ひろやす)
https://ortho-g.co.jp/


日本整形外科学会認定専門医
日本体育協会公認スポーツドクター
日本オリンピック委員会強化スタッフ
兵庫県マチュアボクシング連盟医事委員長

 

 

 

 

 

 

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Dr.藤崎 毅一郎

 

2020年は新型コロナウイルス感染症によりスポーツの存在を深く問われる年となってしまいました。2020年は間違いなく人類の歴史に大きく刻まれます。我々は人類の既存の文化をこの感染症に対してどう適応させていくのかということが問われています。 

 もちろんスポーツも例外ではありません。ここで最も重要であるのが、スポーツ外傷・救急蘇生からスポーツ心理学も含めた安全管理ではないかと思います。スポーツは勝者・強者の視点で語られることが多いのは否めません。しかしながら、既に日本は少子高齢化が進み、若年層の減少がこれからも続きます。日本のスポーツにおいて、人口増加の持期に採用されがちな類い希なる人材だけが残っていくサバイバル育成方式は、これからの日本社会の現状を鑑みた際に良い影響を与えるか疑問です。
これまでの数多の先人方の努力を生かしつつ、故障・負傷・事故を減少させ、スポーツの普及そしてスポーツ文化を積み上げていくことが安全管理、安全指導の重要な役割です。様々な才能をより多くすくい上げる育成の一つとして本機構が大きく寄与する日を期待したいと思います。

飯塚病院 腎臓内科 部長

日本腎臓学会 腎臓専門医・指導医
日本透析医学会 透析専門医・指導医
日本内科学会総合内科専門医 


藤崎 毅一郎(ふじさき きいちろう)
 

藤崎 毅一郎 (@NephKiichi) | Twitter

 

 

 

 

 

 

 

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弁護士・加藤 英男

スポーツで身体を動かすということは、心身の健康維持、自己実現に資する有益な活動ですが、同時に自他の生命身体に一定の危険を伴うものです。心身の健康維持、自己実現に有益な活動によって、健康が損なわれるのは本末転倒としか言いようがありません。
 一定の危険があることを正しく知り、予防し、万が一のときも正しく対処できるようにしてこそ、心置きなく楽しめるというものです。
 スポーツ安全推進機構は、現在の医学水準や科学的知見から明らかになっている危険とその回避法、事故発生時の救急対応に関する情報を分かりやすく広く世に伝え、誰もが安心してスポーツを楽しめることを目的としています。全てのスポーツ指導者と愛好家に正しい安全衛生の情報が行き渡りますように。我が国、世界のスポーツ振興を祈念してやみません。

弁護士・加藤 英男 (かとう ひでお)

弁護士 加藤英男 (@BengoshiKH) | Twitter



愛知県弁護士会所属。lawyer in Japan 律師。
読書と格闘技、護身術。
フォレスト出版『合法的に借金をゼロにする方法』
月刊プレジデント2008〜2013『任意売却』寄稿
新日本法規出版『資本・増資』実務本の法務部門執筆

 

 

 

 

 

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弁護士・岩熊 豊和

私は日々の弁護士業務において、スポーツ中の事故によりけがや重篤な後遺障害を負ったり、場合によっては命を落としたりしたケースを扱っています。しかし、依頼者や遺族が真に望むものは、お金ではありません。元の体に戻してほしい、元気だった頃の姿に戻してほしいというものです。スポーツ中の事故には避けられるものと避けられないものがあります。しかし、そのほとんどは避けられるものであったといえます。また、仮に事故が起きたとしても、救えたはずの命や、重篤化を避けられたケガも少なくありません。
 スポーツ安全指導推進機構の活動は、事故を未然に防ぐこと、救える命をきちんと救うこと、ケガを最小限に留め重篤化を防ぐことにあります。スポーツを法廷に持ち込まなくて済むようなスポーツ界になることを切に願っています。

岩熊 豊和(いわくま とよかず)
 スポーツ選手のリーガルサポーター 

公益財団法人日本スポーツ協会ジュニアスポーツ法律アドバイザー
岩熊法律事務所

岩熊法律事務所 | IWAKUMA LAW OFFICE

 

 

 

 

 

 

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リハビリチームリーダー

理学療法士 勝井 洋

いま、スポーツ現場では様々な問題が指摘されており、海外との比較も含め変革が求められている現状があります。しかし未だにメディアでは課題に対し賛否両論で語られることもあり、疑問を感じながら活動を続けている選手や生徒の方も多いのではないでしょうか。
 私は普段、整形外科リハビリの仕事をしておりスポーツ外傷/障害で来院する患者さんに数多く対応しますが、現場の指導方針による影響の強さを感じています。医療機関にかかるほど悪化しているケースでも、無理して練習に参加してしまうため治療が全て台無しになってしまうのです。
 また高校野球の現場では熱中症の応急対応も経験し、ニュースなどで報道される問題についても他人事とは思えない危機感を感じております。特に命に関わるような事故は、競技の存続自体が疑問視される可能性もあり、私自身スポーツや競技を実践してきた経験からも重大事故ゼロが実現され競技本来の良さが受け継がれていくことを願っております。
 そしてこのスポーツ安全指導推進機構の取り組みは大きな力となり、今後のスポーツ安全水準の底上げに繋がると確信しております。私もその一助として理学療法士の専門性を活用し貢献出来るよう、全力で活動させて頂きます。

スポーツ安全指導推進機構 リハビリチームリーダー
理学療法士

勝井 洋(かつい ひろし)

勝井洋/安全管理チームリーダー (@fightingmed) | Twitter

 

 

 

 

 

 

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パラスポーツ&ライフ・リーダー

樋口 幸治

スポーツや格闘技は、一瞬で、人間に幸せや感動を与える力を持っています。私は、障がいをお持ちの方々の運動の専門家として、リハビリテーション~健康づくり~パラスポーツの現場で指導や研究を重ねています。この実践では、人間がスポーツで発揮できるパフォーマンスや可能性の高さに驚かされます。しかし、その幸せな効果も、一瞬で、違った方向へ進むこともあります。スポーツ中のアクシデントで、命を落とす、重篤な障がいを負ってしまう事例は、後を絶ちません。 障がいを持ってもスポーツを行うことは可能なケースもあります。しかし、障がいを負うことで、できないこと、試せないことが発生し、日常生活は変わります。後天的な障がいの場合、障がいを持つ前と同じように、いつもやっていたスポーツを行うことは現状では大変厳しくなります。
 その一方で、専門職としての経験から、一瞬の違いは、命を守る知識と行動で未然に減らすことができることを学びました。スポーツ現場に関わる多くの方々が、命を守る正しい知識を学び実践することで、スポーツで幸せになる人々が増えるのではないでしょうか。この『スポーツ安全指導推進機構』は、この一瞬の違いを未然に減らす活動を推進しています。スポーツの安全を高め、多くの方々が幸せになるために。スポーツに関わる皆様からのご助言とご協力をどうぞお願いいたします。

パラスポーツ&ライフ・リーダー
樋口 幸治

Higuchi Yukiharu (@ukiharu_y) | Twitter

弁護士とドクター対談(3)~「子供を保護している」といえるのか?~

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―――前号に引き続き、Dr.F、岩熊弁護士、加藤弁護士の座談会をお送りします。今後もうまた、格闘技・武道の諸問題について医学的、法的な立場から切り込んでいただきたいと思います。今、全国で様々なルールや形態の大会が開かれていますが、安全対策含めましてどのように感じていらっしゃいますか?まずはDr.、率直にお聞かせください。

 

Dr.F  私の場合は、ジュニア選手、一般選手、選手のセコンド、大会ドクター、安全講習のゲストなど様々な形で大会に関わらせていただきました。それらの経験から感じるのは、大会によって、安全管理、安全意識に大きな格差があることです。

 

――――大きな差とは具体的にはどのようなものですか?

 

Dr.Fしっかりした主催団体は、大きな大会ではドクターが複数待機し、ドクター以外の医療者、ナースや理学療法士柔道整復師、といった有資格者が医療班としてきちんとチーム医療を実践できるような体勢をとっていました。責任の所在もしっかりしてますし、連携もスムーズです。なによりも主催サイド、そしてプロならレフリーやアマなら審判団、そして医療班。これら3者の間にコミュニケーションがきちんと取れていますので、主催として大会を開催するに相応しい準備が整っている印象を受けました。

 

――――それ選手もとても安心ですね。そうでないケースはいかがですか?

 

Dr. F「え?」と思うよう経験もしています。ある400人規模のアマチュア大会に、格闘技医学の講師として招聘いただいた時のことです。そのこと自体は有り難いのですが、事前に主催に「大会ドクターは別にいますか?」と確認したら「大会ドクターは別にいます」ということだったので、あくまでセミナー講師としてその大会に参加する形だったんですね。会場に到着して、主催者の方に「大会ドクターです」とご紹介いただきご挨拶したんです。で、名刺を交換したら、ドクターではなかったんです。

 

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――――え?ドクターではなかった?それはどういうことですか?

 

Dr.F 名刺は、地元の接骨院の院長でした。ビックリしました。たまたま自分がその場にいたから「医師不在の大規模大会」とはなりませんでしたが、幼稚園児からから壮年まで選手が400名近く参加している直接打撃制の大会で、医師不在というのはどうかと思います。

 

――――もし何か事故があったら、Dr.Fにも責任が及びそうな話ですね。

 

Dr.F そうですね。医師として眼の前の命の危険に対応するのはある意味職業的本能に近いので、「いや、やりません」とはなりません。が、最低限の医療機器も無い、近くの救急病院との連携も取れていない、AEDの準備もない、物理的にも心理的にも準備もない、責任の所在も不明確・・・そんな状態で、出来ることは限られてしまいます。丸腰の消防隊員が「火を消せ」と言われるようなものです。

 

――――それはよくないですね。主催の方はなぜドクターを招聘しなかったのでしょうか?

 

Dr.F その理由は伺っていないのでわかりませんが、実際に医師不在の大会は少なくないようです。関係する全ての大人は、医師とそれ以外の医療従事者、医療類似行為者の違いは知っておくべきだと思います。大きな事故が1件も起きなくても、それはあくまでも結果論であって、「命に関わるレベルの判断と対応」ができる医師がその場にいる、という事実が安全につながるので。

 

 

――――貴重なご体験をありがとうございました。大会を開催する以上、主催者としての責任が伴うわけですね。岩熊先生、主催者の責任について聞かせてください。

 

岩熊 主催の責任については、我々の業界で有名な裁判例があります。それは、高等学校の課外のクラブ活動の一環として開催されたサッカー大会の試合中に発生した落雷事故により生徒が負傷した事案で、裁判所は、大会主催者の責任について次のように判示しました。

 

「本件大会運営担当者は、本件大会が、高等学校における教育活動の一環として行われる課外のクラブ活動の参加により成り立っていることからすれば、本件大会に参加する生徒の安全に関わる事故の危険性をできる限り具体的に予見し、その予見に基づいて当該事故の発生を未然に防止する措置を執り、本件大会に参加する生徒を保護すべき注意義務を負うものというべきである。」

 

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ここにいう「生徒」を「選手」に置き換えると、あらゆる競技に当てはまるのではないでしょうか?

 

Dr.F 岩熊先生、有意義な例をありがとうございます!僕自身、何となく主催の責任を大まかに捉えていたのですが、今、ハッキリ理解できました。1)事故の危険性の具体的な予見 2)予見に基づいた防止の措置 3)選手を保護する注意義務

主催をやる以上、これらの責任が必然的に生じる、というわけですね?

 

岩熊 そういうことになりますね。前回も触れたことですが、まだ小学校低学年か入学前の小さな子供がヘッドギアをつけてお互い殴ったり蹴ったりする動画を見ました。子供の安全を考えると、そもそも殴り合うような対戦をさせること自体、「(選手である)子供を保護している」といえるのか?、という疑問があります。

 

 

 また、ヘッドギアやグローブについても、その規格が選手の頭部への衝撃を抑えるのに適しているのかという問題もあります。さらに、Dr.Fもご指摘のように、もし選手が倒れた場合、直ちに救護措置にあたることができるだけの体制が整えられているのかという問題もありますね。

 

 

 

Dr.F 岩熊先生、ありがとうございます。スポーツ法律問題の専門家の目線はとても貴重です。格闘技・武道の内部の論理や常識だけで物事を推し進めていったとして、何か起きたときに、それをジャッジするのは一般社会であり、国内であれば日本の法律やモラルが基準になると思うんです。ですから世間一般から見てどうか?という視点は忘れてはいけないですね。格闘技を修行しながら、弁護士としても活躍されている加藤先生は、主催者の責任をどのようにお考えですか?

 

加藤 一般に、誰かに責任が発生するには、故意または過失が存在しなければなりません。故意とは、わざと、という意味です。意図して加害行為を行う場合です。

 

 もっとも、格闘技の場合は、対戦相手に傷、ダメージを与えることを本質とします。お互いが了解のもと、適正なルールに則って、行われる限り、適法とされます。ですので、格闘技の大会で、誰かに法的責任が生じる場合とは、そもそもルールに従わないで、相手を痛めつけてやろうということが起こった場合に限定されます。過失とは、うっかり、という意味です。適正なルールに従ってやっているつもりだけど、不注意で、想定外の行動に出てしまった場合です。大会主催者側に責任が生じる場合とは、大会主催者側に上記の意味での、故意または過失が存在した場合です。

 

――――加藤先生、具体的に、どんな問題が想定されるのでしょうか?

 

まず、大会のルールそれ自体に問題がある場合です。

「そんなルールで試合させたら、大会を開催したら、大怪我する、重大事故が起きることが合理的に予想できる場合」です。例えば、成人男性同士の試合に限定すると、急所と呼ばれる中でも、眼への攻撃、背後から後頭部への攻撃、抵抗出来ない状態で横たわる相手への頭部踏み付け行為を許すルールとなると、それは、もう殺し合いに近く、大会主催者は、それ自体違法行為の教唆幇助を行なっているのと同じであり、死亡や失明、神経麻痺などの傷害事故が発生したときには、過失責任どころか、故意責任も生じかねません。選手としたら、このようなルールの大会で試合を行うこと自体、決闘罪に当る可能性もあります。そのときは、大会主催者側も決闘立会人として、同等の罪になります。

 

岩熊 ルール設定自体が、格闘技・競技の範疇を超えてしまっている場合、ということですね。

 

加藤 おっしゃる通りです。岩熊先生がご覧になったという子供の大会も、「果たして子供にとって適切な競技なのか」というところが重要になると思います。

 

Dr.F 欧米で、子供のMMAやキック、ボクシング、フルコンタクトカラテの試合自体が禁止になっている国や州がありますが、適切かどうかの検討の結果、法や行政レベルで決定されているんですね。

 

 僕は決して「日本も禁止にしましょう」と言っているわけではなく、「日本の格闘技・武道の競技はどうあるべきか」を考えるべき時期なのかな、という気がしています。良い面もたくさんある身体文化、精神文化であるからこそ、また武道発祥の国だからこそ、その面でもリードしていってほしい気持ちが根底にあります。それには、過去の事例を検証して生かしていく作業が必要だと感じています。

 

(その4に続く)

 

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中井祐樹 vs Dr.F パイオニア対談 第2回:強さとはオリジナルである

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-----今回は、Dr.Fと中井祐樹さんの対談2回目です。

 

まず、二重作先生は空手、中井さんは柔術と、それぞれ打撃系格闘技と、組技系格闘技をやってこられたわけですが、今、格闘技を練習している読者の中には、打撃も寝技も両方やってみたいという好奇心旺盛な人も沢山いると思うんです。

 

 その一方で、今やっている格闘技でさえ満足な結果が出ていないのに……と、新しいことを始めるのに二の足を踏む人もいるでしょうし、また古い慣習を持った道場などでは、他の稽古を禁じるところもあると思います。これについてはどう思いますか?

 

中井 僕は打撃界とのつながりはそんなにないんですが、それでも指導させて頂いた方はけっこう多く、例えば極真会館松井章圭館長)の支部長さんである御子柴さんや進さん、根本さんなんか、みんな紫帯や茶帯のれっきとした柔術家なんです(笑)。あと、埼玉県草加市パラエストラ能登支部長は、空道の全日本軽量級チャンピオンで、空道の道場も併催して行っているんですね。

 

 僕は、柔術ができて困ることはないでしょ? と思うんです(笑)。寝技が許されるような試合に出たら、腕ひしぎ十字固めで勝って、俺の空手のには"十字"も入っているんだよ、と言ってくれればいいんです。僕もそれで良いと思っているんです。

 

 格闘技というはそういものじゃないでしょうか。大きな団体や競技を創られた偉大な先生方がいらっしゃいましたが、実はそれはみんなができることなんです。自分のアートを創ることはできるわけですから。

 

 格闘技をストイックに練習なさっている方のなかには、この方法でやらなければだめだと思っている方かなりがいらして・・・

 

Dr. F その思考の枠にはまっているといいますか、真っ直ぐに前を向いている方ですね。

 

中井 気持ちはわかりますし、それはそれで素敵なことだと思うんです。ただ僕は、これまで諸流派や新たな格闘技を創ってこられた歴史上の先生方も、稽古を積んで、のれん分けなどで先生から離れて、創意工夫を続けるなかで、実はいつの間にか違うことをやっているんだよ、同じルールのなかでやっているから、同じように見えるけれど、実はその先生のオリジナルなんだよと言っているんです。

 

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Dr. F オリジナルのお話、とても興味深いです。人間の脳というのは常に体から感覚を入力していますよね。ですから、僕はご覧の通り、手足の短い体格だから(笑)、このサイズをベースに発想してしまうんです。逆に僕が身長190cmあって手足が長かったら、違う発想をするはずなんです。

 

中井 ・・・ということは、体が脳なんだ。

 

Dr. F そうなんです。脳は外界の情報をキャッチするだけではなく、肉体の情報も常に脳に送っているんです。

 たとえば、7歳までに事故などで手などを失ってしまうと、失った手の感覚はないんですが、7歳を過ぎて手を失ってしまった人は、手があったときの記憶が脳に定着しているから、「なくても、ある」という状態なんです。それが、脳が体を支配していますが、体も脳を支配している、ということなんです。ですから、双方はものすごくリンクしているんです。

 ですから、同じ競技、そして同じ技術をしたところで、それはその人の個性、いわばオリジナルでしかないんです。

 

中井 身体がオリジナル、というわけですね。

 

Dr.F まさに、そうなんです!たとえば、僕が弟子に、相手に近づいてこうしてボディを打つといいといっても、それはあくまでも僕の手足の長さで技を組立てているわけで、僕が身長190cmベースの思考で技を組み立てたくても、簡単に組み立てられるものではないんです。唯一、可能であるとすれば、身長140cmの相手ばかりのトーナメントに僕が出場することで、擬似的に体験してそこから発想することぐらいでしょうか。

 

 格闘技の技術というのは、いろいろな前提の上に成り立っているんですね。たとえば、ムエタイというのは相手のローキックをスネ受けをしますが、体重が重い相手に蹴らればバランスを奪われるばかりか、吹き飛ばされてしまいます。つまりこれは、体重が同じぐらいだから成り立つ技術なんですね。こうした競技の背景が技術に反映されてきますし、技術というのは人間がやることになるんですが、人間は結局、効率を追うんです。だから、強い人間は自分の戦いを知っているんですね。それを細分化していけば、自分の手足の長さを知っているということですし、自分の体格を知っているということなんです。

 これはちょっと哲学的な話になるんですが、言い換えれば、強くなると言うことは自分を知るということですし、自分じゃない人間に触れることで、自分を知るようなところがある気がします。

 

 

中井 僕は、「信じていたこと、やってきたことが違う」と感じることがあって、今度は新たに見つけたやり方を研究していくと、前に持っていた強さを失うことがあるんですね。だけど、トータルでどっちもできるとより強くなることができるんです。 

 

 これはクロストレーニングとは別なんで、「格闘技は何をやっても格闘技の練習になる」ということは僕自身が体験しているんですが、練習中にいくつか違うものを入れると、違うものが出てきますし、「違うものが出てくる機会」と「考える時間」を作ることが重要だなと思っているんです。

 

Dr.F うわぁ、「何をやっても格闘技の練習になる」って、まさに希望の言葉です。

 

中井 今まで10分でやっていたスパーリングを3分でやってみると、ペースが違うからえらく疲れるんですね。もちろん、これは強くなるためには必要なことなんですが、寝技の人たちはテクニック偏重主義で、強くなるためにはテクニックという考えがあるので、こうした時間に対して考えがいかない傾向があるんです。それも、先生がおっしゃる"前提"なのかもしれませんね。

 

Dr.F なるほど、時間は前提の際たるものですね。

 

中井 生徒に、柔術で強くなりたいんですけれど、どうしたらいいですか? と聞かれることがあるんですが、これまで最短で、3年で黒帯を取った生徒がいたんですが、そいつはサッカーをやっていたんですよ。サッカーがどう生きたかはわかりませんが、彼は準備が出来ていたんですね。営業上これは言えませんが(笑)、「道場に来なくて外のことをやっていてもいいよ」という可能性もでてくるんですね。いわば、なんでも格闘技の練習になるんです。

 

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Dr. F たしかにそうかも知れないですね。よそを見るな、というのはもう時代にマッチしていないのかも・・・。あるいは、時代が格闘技に求めるものではなくなっているのかも。いろいろなものをどんどん取り入れていって、格闘技ももっとクリエイティブなものと捉えていった方がおもしろいし、実践者も幸せなのかも知れないですね。

 

中井 本当にそうですね。ただ、ひとつ付け加えておかなければいけないのは、古いやり方を通していくなかでも、強さはつかめるんです。パラエストラ品川支部の佐々という僕の一番弟子は、彼の弟子たちとマンツーマンで365日休みなしで練習して、一日2回の練習か、多いときには3回の練習。今の時代、そんなことないじゃないですか。でも彼はそれで、とんでもなく強くなっていったんです。

 

Dr.F おおお、興味深いです!

 

中井 あるとき、他の弟子から、「他の黒帯はなにをしてくるかわかるんですが、佐々さんは何をしてくるわからないんです」と言われたんです。佐々が入門してきたのは、彼が17歳の時だったんですが、その時、僕は彼に、「同じ技ができるんだったら、体を自在に動かせるほうが強くなるよ」、と言ったんです。そうしたら、彼は、僕が"ムーブメント"といっている、エビとかの動きの一人練習を丁寧にすべて行っていたんですね。全部やると2時間ぐらいかかるんですが、そんな基礎練習を毎日みっちりやっているヤツって、このご時世にいないんですよ(笑)

 

Dr.F 凄い!素晴らしいですね!

 

中井 言ってみれば他の運動でもよかったんでしょうけれど、そこに信念みたいなものが生まれていったんでしょうし、その量が最後にまわりを驚かせるような動きを作り出したんでしょうね。

 ただ、彼も他の練習はしていなかったけれど、スパーリング以外のちょっとした動作や、車を磨いたりしていたなかでも柔術のことを考えていて、他のトレーニングをすることに代わりに、すべての行動が練習になっていたかもしれません。

 

Dr. F 他の格闘技や最先端のトレーニングに目を向けたりする人がいれば、職人的に練習して強くなったり、強さを求めているのに、山の登り方がまったく違う、というのがまたおもしろいですね。 

 

中井 ホントですね。

 

Dr.F 教育学の本に、"才能とは、積みかねることができるという能力"とあったんです。前時代的な教育学では、センスのある子というのは、教える側の目線から手間暇かけずに伸びて来る子だと思われていましたが、今のアメリカの教育ではそれが完全に否定されていて、「どれだけ数を重ねることができるか」、その一点が才能なんだとパラダイムが変ってしまったらしいんです。

 

中井 おもしろい話ですね。僕は、「強くなるには法則はない」と思っているんです。そして、いろんなことができた方が可能性があるんです。そういった意味では、僕の弟子にも、僕のやり方に縛られない方がいいとは言っていますし、中にはたくさん稽古できない人もいるので、その人にあった方法を選んでもらえればと思っています。

 

ーー先ほど、二重作先生の言葉に、格闘技は前提の上に成り立っているというのがありましたが、逆にこれを利用して練習効果を上げるというのはあるんでしょうか?

 

中井 パラエストラでは、子供たちの練習のなかで設定をかえながら行うことで、効果を変えています。たとえば同じ組技でも、相撲であれば土俵があるので、押し負けしない体の心の強さが身につきますし、土俵脇まで来きたときの切り返しのセンスが磨かれます。

 

 これが土俵なしで行った場合、際限なく下がることができるので、押しだけではできなくなるため、むしろ相手を引き崩したり、自分から積極的に取りに行ったりする能力が必要になるので、ヒザを付くことはできませんが、レスリングに近い動きになります。あとはレスリングのようにヒザを着いたり、足をかけてもOKで、ただしタックルは禁止。相手の背中を着けると勝ちにすることで、組み技の総合的なセンスを磨いていくようにしています。

 

ちょっと二重作先生と組んでみましょうか? ムエタイ首相撲がありますが、僕はまずは"手相撲"から始めるのが良いんじゃないかと思っているんです。レスリングにもあるように手を伸ばして相手を崩していく・・・。

 

Dr. F (中井氏との"手相撲"のスパーリングで)引き倒されるというよりは、手が体に這うように巻き付いててき、まるで合気道のように、自分からある方向に飛んだほうが安全なんじゃないかな、というような感じですね。

 

中井 ここからさらに、投げてグラウンドに移ってから10秒、という制約を設けると、人によって反応が違ってくるんです。投げられてすぐに起き上がる人もいれば、すぐに相手の上になる人もいるし、すぐに関節にいく人もいる。これは投げた人も同じで、上から押さえつけたり、関節を極めたり、ここで「個性」が見えてくるし、自分を広げていくべき方向が見えてくるんです。

 

Dr. F これは興味深い話ですね。空手ですと、相手にローキックを効かせた場合、ローを連打する人もいれば、すぐにハイキックを蹴ってKOしにかかる人もいる。逆に相手の反撃を待ってカウンターを蹴る人もいるということになるでしょうか。

 

 中井先生のこの練習は、「言われてみれば、確かに」と思いながら、本来は気がつかない部分ですから、この練習を通して「確信を持って磨いていける」というのはすばらしいですね。

 

中井「サッカーにも"練習試合が一番役に立たない練習だ"という言葉があるとおり、こうした条件を限定したドリブル練習などで技術を磨いていって、それを試合に繋げていく作業が必要なのかもしれません。

 

格闘技でも、なんでも同じでしょうが、「限定と全体」をいつも行き来しているような、そういう作業を繰り返さないといけないとは思うのですが、仲間といるとフリースパーリングばかりになって、楽しい練習ではありますが、トータルすると"どんぶり"になって抜け出られない恐れが出て来るんですね。であれば、ガイドラインを持った人が一人ついていて、導いていくということが必要になってくると思います。

 

Dr. F 限定と全体!なるほど、僕自身、「練習した気になるだけの練習」にもっと厳しくしていかねば、と思いました。今、中井先生と差し合いをさせていただいてふと気がついたのですが、空手の後屈立ちという伝統的な立ち方があるんですが、この下半身の各関節を正しい角度で保っていると、相手に押されてもある程度耐えることができるんです。

 

中井 ああ、本当だ!

 

Dr. F あとは前屈立ちというのがありまして、この2つの立ち方を行ったり来たりすると、かなり差し合いの中で有効になってくるんです。

 差し合いの練習をするなかで、無意識にこの角度を作る人もいるでしょうが、ごく一部だけで、多くの人は角度を知らずに力だけで練習を繰り返すばかりでしょうし、また見ている人も投げられて床に転がる様子だけを見て、すばらしい投げだと感じるだけで、投げるときのヒザ関節の角度をはじめとした下半身の動きに気づく人は、ほとんどいないと思います。

 

中井 体の使い方に気づいた人だけが強くなれるのではなく、誰もが強くなれる可能性と具体的な方法を示してくれる格闘技医学は、格闘技をやっている人にとってかなりの味方になってくれるんですね。

 

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Dr.F ありがとうございます。微力ながらそこを目指したいです。中井代表、今回も格闘技の希望のお話をありがとうございました。お話を伺って、格闘技の奥深さと可能性に気づかせていただいた気がします。

 

中井 こちらこそありがとうございます。格闘技医学のますますのご発展を僕も楽しみにしています!

 

 

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Dr. Fの格闘技医学[第2版] | 二重作拓也 |本 | 通販 | Amazon

GO三浦 崇宏×Dr.F 越境対談 その1 ~言葉を変えると思考が変わる~ 

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──今回は大変興味深い顔合わせになりましたね。お2人ともどうぞよろしくお願いします。

 

Dr.F よろしくお願いします。三浦さん、本当にお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます!

 

三浦 いえいえ、楽しみにしていました。僕も格闘技を通して学んだことが、すごく仕事に生きている部分があるんです。

 

Dr.F それでは三浦さん、まずは自己紹介からお願いできますか?

 

三浦 はい。The Breakthrough Company GOの代表の三浦です。ここでは経営者をやりながらPR・クリエイティブ・ディレクターもやっています。あとはビジネス芸人として、「NewsPicks」や「新R25」、一部TV番組のコメンテーターなどもやらせていただいております。東京出身で、幼稚園から高校まで暁星学園に通っていて、大学は早稲田大学です。中学1年から大学1年まで柔道部にいまして、右組み・左組みのスイッチスタイルでした。

 

Dr.F そうですか!

 

三浦 早稲田大柔道部では1年上に青木真也選手がいて、「これはもうやってられないな」と思ってすぐにやめました(笑)。

 

 新日本プロレス、UWF、UWFインターナショナルが好きで、その先のPRIDE、DREAM、RIZINやONEなどの総合格闘技と、プロレスは本当に好きです。最近ではDDTも見ます。大学卒業後は博報堂に入って、最初はマーケティング、それからPR、クリエイティブと変わって、10年在籍の後に独立しました。

 

 今の「GO」という会社は30人ぐらいの規模なんですが、「社会の変化と挑戦にコミットする」ことをテーマにしていて、企業が変わりたいとか新しい挑戦をしたいというときにお手伝いをする……広告でや、新しい事業を作ったり、企業のブランディングをしたりといった手法で企業の変化と挑戦を支援している会社です。

 

Dr.F 伺いたいことだらけですが、まずは格闘技経験の部分について、詳しくお話しいただけますか?

 

三浦 中高は柔道部だったんですが、進学校だったし僕は身体的にも優れているというわけでもないので、「できるだけ練習量も少なくしてどう勝つか」ということをものすごく考えたんですね。結局、柔道の練習をしていては柔道の強豪に勝てるわけがないので、レスリングや柔術総合格闘技の練習を取り入れたんです。

 

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 ルールから逸脱した新しい勝ち方を見つけるということを中高6年間ずっとやっていて、僕らの会社は大手の広告会社と競合関係にあっても、現場で競り負けるということがほとんどないんですよ。それは今思えば、当時培ったものが生きているのかなと思います。

 

──Dr.Fとはどのようなつながりなんでしょうか?

 

三浦 二重作先生のことはツイッターでお見かけして、糸井重里さんとの対談などを読ませていただきました。その中で「思考を切り替えることで体の動きも変わる」というお話が出てきて、僕も常々「言葉を変えると企業は変わる」ということを言っていたので、通じるものを感じました。

 

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(ほぼ日刊イトイ新聞 「強さの磨き方」より)
 

 「思考を変えると言葉が変わる」あるいは「言葉を変えると思考が変わる」、それが結果的に体の変化につながるというお考えにすごく共鳴していて、それをご自分の体を通じて実験されていることにもものすごく関心がありますし、今日はリモートですけども、いずれは直接お会いして指導を受けさせていただきたいなと思っています。

 

Dr.F ありがとうございます。早くも金言満載ですね!僕は、三浦さんを落合陽一さんとの対談動画などで存在を認識していました。失礼ながら著作を読んでいなかったので、ツイッターで知り合ってからすぐに『人脈なんてクソだ。 変化の時代の生存戦略』を即買いしまして、拝読しました。

 

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 決して宣伝で言うわけではなく、「今の時代はどんな時代なのか?」ということを、ハッキリと、誰にも分かる言葉で書いてくださっている本だなというのが、最初に実感したことでした。

 

三浦 ありがとうございます。

 

Dr.F 格闘技でも社会でもそうだと思うんですが、「今がどういうリングなのか」ということが分かっていないと戦えないじゃないですか。例えば、今からポケベルの打ち方を一生懸命練習しても、もうその時代は来ないということはハッキリしてるわけです。

 

 一方で、サッカーをやっている人がいきなり「明日からラグビーをやります」と言われる時代に我々は生きているんだという時代認識を、三浦さんは鋭敏に捉えていらっしゃる。これは今生きている全ての人にすごく必要な感性だな、と感じたんです。

 

 あとは、「言葉による再定義」を自分でガンガンやってらっしゃるところにすごく共感しました。僕がツイッターで格闘技のことを書いたときに、三浦さんがパッと「もっと格闘技のことを学びたい。何かできることはないか」というコメントをくださったんですが、僕からしたらもう、今の時代をリードしてる側の三浦さんがそういう反応をくださったことに感動したんです。

 

三浦 僕は実際、二重作先生のゼミとか、体の使い方のワークショップとかがあったら受けたいんです。「パンチは押すだけではなく引きつける力が大事」とか「正拳突きは体幹で突かないと意味がない」とか、メチャクチャ興味深いじゃないですか。

 僕自身、自分の世界をどこまで自分と捉えるかによっていろいろなことが変わってくるし、そういうことがすごく重要だと思ってるんですよ。

 

Dr.F ああ、すごくよく分かります!

 

三浦 格闘技の言葉って独特ですよね。「腰を切る」とか。

 

Dr.F ありますね。「タメが大事」とか。

 

三浦 ああいうのって、やってみると分かるじゃないですか。会社にも、その会社なりの体の言葉というものがこれからは必要なんじゃないかと思っていて、例えば……「腰を切る」って柔道をやっている人なら誰でも分かる言葉ですけど、一般の方には分からないですよね。でも「腰を切る」っていう言葉によって、僕ら柔道をやっている人間は、体の動きをコピーしていく。

 

 広告会社で言うと、「越境する」という言い方をすごくよくするんです。コピーライターがコピーのことだけでなくデザインのことまで考えるとか、デザイン側が営業のことも考えるとか。自分の職能以外のところに、自分の職能で責任を持って何らかの意見を言ったり取り組んだりすることなんですが、これはすごく重要なことだと捉えられているんです。でも「越境する」って、一般社会ではそういう意味では使われないじゃないですか。

 

Dr.F そうですね。

 

三浦 格闘技における体の言葉みたいなものがビジネスにもあると、ビジネスがもっと伸びるんですよ。この「越境する」って、他の会社では言わないんですよ。競技独特の身体言語が落ちてくるみたいなことが、企業文化にも重要だなという気がしていて。

 

Dr.F なるほど! それはすごく興味深いところで、その「腰を切る」という言葉ですが、その感覚は定義づけはないんです。だからA先生の「腰を切る」とB先生の「腰を切る」が「動きとしては全く違う」ってことが、よくあるんです。

 やってる人たちの共通言語に見えて、各流派のローカル言語になっていたり。例えば「かかと落とし」という技がありますよね。あれはオリジンとしてはテコンドーの技なんですけど、それを倒し合いに持ち込んだのはアンディ・フグで、極真の第4回世界大会で出したんですね。僕はそのとき、TV放送を見ていたんですが、当時はまだ「かかと落とし」という名前がないわけです。

 

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三浦 あっ、そうか! まだ名前がなかったんですね。

 

Dr.F 英語では「AX KICK」(斧の蹴り)ですけどね。アンディ・フグのかかと落としは僕も憧れたので、さんざん映像を見て研究したんですが、「かかとだけ」を落としていないんですよ。カカトが当たることはあるんですが。

 

三浦 面白い! 確か、当たるとき、かかとは引いてますよね。

 

Dr.F そうなんです!かかとから入って、つま先を引っかけてるんですよ。

 

三浦 あれは鎖骨に当ててるんですか?

 

Dr.F 上手な人はつま先で目をひっかきますね。あと顔面、顎、頸部など。

 

三浦 目か! 僕はすごくうがった見方をしていて、あれはフグが観客の人気を集めるためと、ジャッジの印象をよくするために使っていた技だと思っていたんですが、目に当ててたんですね。

 

Dr.F フグに限って言うと、第4回世界大会でほとんど世間的には無名でしたが、どんどん勝ち上がってきたんです。彼はかかと落としで、相手のガードを上げさせるのが目的だったんですよ。で、彼が相手を倒した技、効かせた技はローキックなんです。

 

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三浦 なるほど! 確かにそうでした。

 

(その2に続く)

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三浦崇宏 GO (@TAKAHIRO3IURA) | Twitter

二重作 拓也 Dr.F/Takki (@takuyafutaesaku) | Twitter


三浦 崇宏氏の「推薦の言葉」も収録

格闘技医学 第2版

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強くなりたい! 

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強くなりたい!

 

 幼少の頃から病弱で、運動も全く苦手でした。走るのは遅い、ボールには遊ばれる。昼休みのサッカーでは、チーム分けジャンケンで不動の残り物ポジション。クラス対抗野球大会ではバッターボックスに立った瞬間、自軍チームから「あーあ」とため息が聞こえる(まだバット振ってないのに!敵も味方も、敵だった)。

 

 とにかく「僕のせいで負けた」になるのが怖くて怖くて、パスが廻ってきたらすぐにボールを味方の誰かに渡す。「ボールよ、僕のところに来ないでくれ!」と祈りながら、毎回とてつもなく長く感じられる時間を過ごしていたのです。

 

 身長も低く、体格もヒョロヒョロ、極度のスポーツ難民だった私が、ケンカだけ強いはずがありません。自分より強いジャイアンのような同級生にビビってしまう自分が情けなくて、弱い自分が嫌で、嫌いで。「今よりも少しでも強くなって、自分で自分を認められるようになりたい」そう願ってきました。

 

 そんな私が出逢ったのがカラテでした。練習すれば強くなれる。痛みも我慢も、強さに変わる。自分が負けても自分の責任、自分が勝てば周りのおかげ。師範も、先輩も、後輩も、家族もみんな喜んでくれる。とにかく自分が強くなれば、いろんなことが良い方向に向かうような気がしたのです。

 

 少年時代の私にとって、カラテは「救い」であり、「光」であり、「希望」でした。

 

 地元の道場に通い、練習の無い日は公園で自主トレ。暇さえあれば鏡に向かってシャドー、電灯のヒモにハイキック、信号待ちは電柱へのローキック、コーラの瓶で脛を叩いて鍛える日々。テスト前?受験?センター試験?国家試験?そんなの関係ない、もし今、練習をやめてしまえば、また弱くて惨めな自分に逆戻りしてしまう・・・。思い返せば、まるで強迫観念にも似た、ゴールのない渇望でした。どんなことがあっても、握った拳を手放したくなかったのです。

 

 いつしか、自分が強くなること、同時に、強くなりたい人をサポートすること。それが格闘技ドクターとしての活動の主軸になりました。練習生、ジュニア選手、一般選手、指導員、大学同好会主将、リングドクター、チームドクター、格闘技医学会主宰、指導者指導、情報発信者・・・様々な立ち位置を経験した上で、現在、このように思います。

 

「今の自分を超えることでしか辿り着けない場所がある。だから人間は強くなろうとするのだ」と。

 

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 本書「格闘技医学」は、強い人間が書いた本ではありません。いわゆる格闘技・武道・スポーツの書は「強い人として知られる人」「実績や功績のある有名人」がそのノウハウを公開する形で書かれますが、本書は「強くなりたい人(=弱い私)」が弱さの洪水に溺れながら問い続けた記録でもあります。

 

・あの人はなぜあんなに強いんだろう?

・外からは同じに見えるけど、中はどうなんだろう?

・KOしたとき、手応えがほとんどないのはなぜ?

・同じ練習量でも、上達のスピードが全然違うのはどうしてだろう?

・延長戦でも瞬発力が落ちないのは身体の使い方が違うんじゃないか?

・パンチドランカーを減らすにはどうすればいい?

 

 求めれば求めるほど浮かんでくる「?」に対して、医科学的視点による客観性、正しくやれば誰でもできる再現性、ジャンルやルールを超えて共有可能な共通性、この3つの視座を大切にしながら、強くなるための原理原則を記したつもりです。

 

2001年、WEB上で情報発信という小さな流れからスタートした格闘技医学は、2016年に書籍「格闘技医学」として発表され、おかげさまで重版を達成いたしました。

 

 何をやっても勝てない時期のトンネルの暗闇は、私も経験済みですので「格闘技医学を必要としている方々に届いた」ことが何よりも嬉しかったです。

 

 そして2021年、あらゆる運動の根源であり、最新の科学研究も集積された「脳と運動」(私がずっと書きたかったテーマでもあります)を含むコンテンツが新たに加わり、前作よりもバージョンアップした「格闘技医学」をここにお届けさせていただきます。

 

「もうこれ以上強くなれない」と限界を感じている皆さん、

「私には才能が無い」と可能性を疑っている皆さん、

「このやり方で本当に強くなれるのだろうか」と悩みの深淵にいる皆さん、

 

 もしよろしかったら、我々人間の『強さの根拠』に触れてみませんか?「急がば回れ」という諺がありますが、レントゲンやCTの中に「回り道ゆえの景色」があるかも知れません。

 

 本書の記述は、あくまでもヒントに過ぎません。ぜひ「書き込めるガイドブック」として捉えていただき、主役である「あなた自身の強さの創造」に生かしてみてください。

 

 心と身体を通じた『オリジナルの最適解』が次々と発見されると信じております。そしてもし、本書が皆様の「強くなる旅」の小さなお供になれるのでしたら、著者として望外の喜びです。

 

 救ってくれたカラテ、生きる力をくれた格闘技、導いてくれた医学への、心からのお礼として。

 

経験や知識は誰も奪うことができない  David Bowie

 

 

2021年6月  二重作 拓也

 

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格闘技医学 第2版より

 

「障がい者スポーツ」の「障がい者」が外され、真の「スポーツ」となるために。 樋口 幸治氏インタビュー

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・スポーツ経験と内臓への影響とは?

・パラスポーツは正解の無い世界

・スポーツ障害が及ぼす心の傷

 ・ジュニアスポーツの主役は誰?

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子供のカラテで目覚めた魂

 

 ーーーパラスポーツを中心に様々なスポーツ指導されている樋口さんが、これまでにご自身がプレイヤーとして経験された競技歴を教えて頂けますでしょうか。

樋口:競技歴は、学生時代に、陸上競技をマスターズ世代からフルコンタクトカラテを始め、数年前から、ブラジリアン柔術にも取り組む様になりました。学生時代の陸上競技は、「要領よく、試合でそこそこの成績をあげられないか」と常に考えていました。そのため成績は「そこそこ」でした(笑)

 フルコンタクトカラテは、子どもの小学校入学を機会に「礼儀正しく、身体も強く」と考え、自宅近くにできた道場に見学に行きました。その時、「お父さんも入会するなら、やる」との子どもの一言がきっかけでした。しかし、その魅力に取り憑かれ、試合にも定期的に出場し、二段を取得できました。

  また、数年前から、職場での健康増進にブラジリアン柔術のサークル活動を開始し、マスターズクラスでの試合出場など、好成績を得られ、最近、茶帯に昇帯しました。また、このサークルには、車いす視覚障害、切断など様々な障害の方も参加しています。

ーーーお子さんのために始めたカラテで二段になられて大会にも!そして柔術にも挑戦されているんですね。

樋口:そうなんです。しかし、その道は、悪循環の繰り返しでした。フルコンタクトカラテの大きな大会を目前に、突然、腰の激痛・左足の痺れ・脱力で歩けなくなり、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。幸いに手術には至りませんでしたが、1ヶ月ほど通常歩行ができない状態で、大会を断念し、その後も、怪我を繰り返す悪循環に陥ってしまいました。

 それでも、試合を目指して、いわゆる「根性と努力」で、稽古を行えるまでに回復しましたが、今度は、突然の急激な血圧上昇、めまい、倦怠感を自覚し、慌てて、内科を受診したんです。腎機能が低下し、専門医の治療を受ける一歩手前の状況でした。この状態が決定打で、打撃系格闘技は、試合で勝つことから指導者へと目標を変えざるを得ませんでした。この様になり、ようやく自分の無謀さに気づきました。

ーーーなるほど、ご自身の格闘技経験、そして怪我や内科的疾患のご経験を経て、指導の道に至るのですね。パラスポーツとの関わりはどのような経緯だったのですか?

樋口:パラスポーツとの関わりは、大学のゼミで学んでいたスポーツ医科学がきっかけでした。そのゼミの先生のアドバイスで、障害者スポーツセンターに通うようになり、障害者スポーツ医科学のエビデンスに基づく実践指導と研究を続けています。

 その実践は、パラリンピックを目指す選手のコンディショニングから運動やスポーツを通した健康づくりまで幅広く行っています。指導では、パラスポーツ全般を視野に入れ、高度な競技力を持つパラアスリートの強化やコンディショニング指導から地域でのスポーツ活動に取り組みました。パラスポーツは、2021年に東京パラリンピックパラリンピックが開催される予定ですので、多くの皆様に人間の能力の高さと素晴らしさを感じて欲しいと思います。


ーーーパラスポーツでも複数の種目に関わってこられたのですね。格闘技のほうの指導も並行しながら、でしょうか?

樋口:そうですね。格闘技での指導は、パラスポーツと並行して、フルコンタクトカラテを一般の子ども~大人まで、10年ほど指導しました。カラテ指導では、加盟していた流派や他流派の大きな大会で上位入賞を果たす選手やプロのリングで戦う選手の育成に関わることができました。その半面、格闘技の現場に多くの課題があることを痛感しました。

 現在は、自由参加のトレーニングクラスを開催し、参加している選手の目的や希望に合わせて、身体づくりや動きの改善、怪我のリハビリを行っています(コロナ状況下で、予防のため休講ですが・・・)。基本的には、自分の現状を把握できるようにシンプルな動きを使うことを心がけています。しかし、「押忍」の世界は、なかなか現状を表出してくれませんので、可能な限り一緒に身体を動かし、現状の疲労感や動きの特性を言葉に出し、参加選手の現状の表出を促しています。

 

パラ柔術確立への挑戦

 

―――なるほど、パラスポーツ指導、格闘技指導、リハビリ等多岐に渡る関わり方をされているのですね。


樋口:2年ほど前から、パラ柔術の指導にも挑戦しています。昨年(2019年)、スポーツ柔術連盟・全日本大会で、第一回パラ柔術全日本大会が開催され、当倶楽部の選手も参加し、好成績を収めました。

 パラ柔術の指導では、対象者の障害を事前に把握します。例えば、車いすを使用する脊髄損傷の選手は、損傷部以下の運動や感覚神経に麻痺があり、怪我をしても気づきません。そのために、危険を回避するため、滑りやすい柔らかいマットを準備します。このように障害特性に合わせた環境整備を行った上で、基本的な身体機能を確認し、できる動きを探す作業を行います。

 この作業は、毎回、試行錯誤を繰り返し、「これで良い」ということはなく、不安はありますが、不安があるから、調べ、学んでいます。また、参加者全員が、知識と経験を持ち寄って、形にしていく作業ができる環境でもあります。この分野の指導は、近隣の道場やセミナーなどにも参加しながら、また、積極的に情報公開し、選手や支援者を増やすことも指導の一環として実践しています。


―――不安があるから、調べ、学ぶ。いわゆる共通の正解がないだけに、チームでの試行錯誤なのですね。樋口さんがいままでスポーツに携わってきた中で、嬉しかった出来事はありますか?

 

樋口:障害が重いクラスの車いす100m選手のサポートが特に印象に残っていますね。障害特性を調べ、レース用車いすを改造し、数人の専門家の意見を取り入れてフォームを構築し、本人と議論しながらトレーニング方法をコツコツと作り上げ・・・そんな手探りの連続でした。その成果が、アジア・日本記録更新に繋がったときは、サポートスタッフ全員で、スタンディングオベーションをしました。

 

ーーー凄い!新記録を出されたんですね!

 

樋口:そうなんです。記録を出した選手はもちろんですが、スタッフが一丸となって、その記録を作り上げたことに、言葉では表しようのない幸せを感じました。

 格闘技では、子ども、大人、それぞれ成長や向上の速度は違うので、その過程で、それぞれの特徴を考えながら、時には、従来のセオリーを外れたトレーニングを試行してみました。その結果、大会で、ほとんど怪我も無く、表彰台に立つ選手を定期的に出せたことが嬉しかったです。

 また、パラ柔術では、「たくさんの人とスパーしてみたい」「全日本大会なんてできないかな~」など、選手たちの希望があったんですが、2019年に日本初のパラ柔術大会が開催され、「一本!」が出た瞬間に「すごい!」と会場から大きな拍手をいただき、それにこたえる選手の姿に感動しました。

 

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―――樋口さんの指導経験をお伺いしていると、選手自身のハードシップを共に乗り越える姿勢を感じます。ここまでフルコンタクトカラテ、柔術、パラスポーツ、パラ柔術と、いろんなスタンスで関わられてきて、指導体系の変遷というか、ターニングポイントのようなものはございましたか?


樋口:指導理念に繋がるようなターニングポイントは、数回ありました。

最初のターニングポイントは、大学の研究室から、パラスポーツの現場に出た時です。理論と実践のギャップを感じ、現場の経験が、私自身の視野の拡大に繋がりました。


 2つ目のポイントは、病院付属の研究所に派遣されて、医療〜福祉の現場を経験した時に、自分の考えの固さに気づかされ、生活に活かせる研究と指導が必要なことを痛感しました。20年以上前では、医療も福祉も模索状態で、スポーツ医科学より、経験則が全盛期の時代で、力不足を感じていました。

 

 3つ目のポイントは、格闘技で怪我を繰り返していた時に、格闘技医学に巡り合った時です。医学的根拠を現場で、ダイレクトに選手に還元する。しかも、リハビリから強化まで、選手と共に、実践する!これは、衝撃でした。

 

 ターニングポイントは、幸いにも関わる方々からの進む方向のアドバイスだと思っています。スポーツ安全指導推進機構の活動から、スポーツや格闘技の変革が起き、4つ目のターニングポイントが来ているとワクワクしています。

 

スポーツで障害を負った方々の気持ち

ーーー指導の在り方が経験と知識によって変化してきたんですね!スポーツは人の能力を開花させる素晴らしい身体文化であり、精神文化だと思うのですが、大変残念なことに、スポーツによる事故で命を失ったり、可能性が損なわれたり、という事例もまだまだあります。樋口さんのご視点からで構いません、実際、スポーツで障害を抱えた方やご家族はどんな想いで日常を過ごされているのでしょうか?

樋口:怪我をした本人は、受傷した状況によって障害受容が異なるようです。練習や試合など、様々な場面がありますが、多くがまずネガティブな心因反応を引き起こします。そこから治療やリハビリで「できる経験」をすることで徐々にポジティブに変化していきます。回復や改善と共に、心理状態も上向きになるような印象です。

 とはいえ、回復の可能性が低い損傷の場合は、「元の様に動きたい」と願われる方が多いようです。できること/できないことのバランスに加えて、痛みなどの合併症から、ポジティブとネガティブの心理状態がブランコの様にバランスを変えているような印象を受けます。例えば、リハビリの場面では、明るく積極的に見える方でも、「夜は、いろいろ考え、思い出すことが多く、眠剤をこっそりためて、一気に呑んでしまおうと思った」、つまりは(自ら人生を終わらせたいという考えがよぎった)というお話を伺ったこともあり、1日のうちでもかなり大きく変化しているようです。

 

―――そうでしたか・・・。精神的に元気に見える方でも、そこまで追い詰められてしまうんですね・・・。

 

樋口:ご家族は、やはり自責の念にかられる方が多いような印象を受けます。「なぜ、受傷してしまったのか?」「どうして防げなかったのか?」など、その心の傷は、大きく、深いものだと感じています。治療が進み、リハが始まる頃から、ご本人の回復を見ることで、ポジティブ要因に変化し、より一層のサポートに努めるご家族が多いと思います。例えば、パラスポーツも、そのきっかけのひとつになります。とはいえ、漠然とした将来への不安は簡単に消えないと思いますが・・・。

 

ジュニア不在の英才教育?


ーーーご本人の無念さはもちろん、スポーツ事故の犠牲者でもあるご家族が自責の念に駆られる、というお話は胸が痛みます。現場の指導者、医療者、そしてあらゆるスポーツ関係者は、そのような想いをされている方々の存在を忘れてはならないように思います。現在、ジュニアスポーツの行き過ぎた大会主義、結果主義が問題になっていますが、これについてはどのようにお考えですか?

樋口:フルコンタクトカラテの指導では、ジュニア大会にも帯同していましたが、多くの大会で、子どもよりも大人のほうが俄然盛り上がっていたのが印象的です。もちろん良い成績を得て、喜んでいる子どももいることは事実です。しかし、大会の主人公は、子どもではありませんでした。子どもは、ゴールデンエイジと呼ばれる時期を含め、身体の発育・発達過程は、はっきり示され、どの時期に、何をすべきか明確にされています。個人差を吟味して丁寧に指導できれば、成人を迎えて、素晴らしい選手に育つのではないしょうか。

 現状では、「英才教育」という言葉のもとに、早い時期から、競技に向かわせ、身も心も削っている子どもが多いと思います。場合によっては、子どもたちが、日常生活に支障をきたす状態を一生背負っていかなければならないことも起こっています。
 一人ひとりの心身の発達を指導者や大人が、ゆっくり待ち、子どもたちの発想と可能性を引き出せる環境を整備することが必要と考えています。大人の環境で、子ども同士が、削り合う大会主義は、改善しなければならないのではないでしょうか?


ーーー「大会の主人公は、子どもではありませんでした。」この言葉はとても重く感じました。やはり本人だけでなく家族の考えが強く影響することを考えれば、正しい知識の啓蒙は指導者と生徒だけでなく、そのご家族にも必要であると感じました。安全面含め、まだまだ問題が山積している現状ですが、樋口さんのような意識の高い指導者が現場にいらっしゃるのは希望だと思います。ぜひ今後のビジョンをお知らせください。


樋口:私が目指している理想は、いたってシンプルで、「障がい者スポーツ」の「障がい者」が外され、「スポーツ」になること、そして、大人から子どもまで「だれでも安全に楽しめるスポーツ・格闘技」へと進むことです。そのためにも、スポーツや格闘技による事故や障害を未然に防ぐための活動を浸透させることが役割になればと考えています。

ーーーこれからのスポーツ界にとって意義深いお話をありがとうございました。これからの現場の景色を多くのアスリートにお伝えください。

樋口:スポーツ安全推進機構での提言や活動が、スポーツ・格闘技関係者に認識され、だれでも知っていること、だれでも実践している「常識」へとなり、その結果、アスリートの皆さん全てが、安心して自分の能力を発揮できる環境「ライフ・ファースト」になると考えています。そして、アスリートの皆さんは、心から「スポーツは最高!」と言える環境に期待してください。この様な素晴らしい機会をありがとうございます。理念を大切にしっかりと実践していきます。

 

 

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スポーツ安全指導推進機構

パラスポーツ&ライフ・リーダー
樋口 幸治 

twitter.com

【格闘技・武道と法的根拠 弁護士・加藤英男先生】

【格闘技・武道と法的根拠 弁護士・加藤英男先生】 

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 格闘技・武道は「危険」であるけど「楽しい」し「生きる力」にもなるし「人生の型」でもある素晴らしい競技です。しかし指導者・運営側に回ったら、そもそも「格闘技自体が危険であること」を出発点にして考えた方がよいと思います。

 

 格闘技は、相手の生命を奪い、身体に重要な障害を残すかも知れない競技です。指導者・運営側は、相手の生命を奪い、身体に重要な障害を残すという結果が有り得べきことと予見し、予見した結果を回避する措置をとる義務が課せられます。

 

 うっかり予見しなかった場合、予見したのに回避する措置をとらなかった場合、指導者・運営側は、民事・刑事の責任を問われます。

 

「いや、お互い同意していればいいでしょう。」

 

いいえ、同意は全てではありません。同意で処分(捨て去る)ことができる権利・利益でなければ有効になりません。

 

まず、生命ですが、

 

①公然と『生命を賭けて』闘うことは決闘罪として違法な犯罪であるとされています。

②自分は死んでもいい、相手もそう思っているから相手が死んでもかまわないと思って『無理な闘い』をすることも違法です。

 

②については、「死ぬことを同意した相手を死なせること」は同意殺人罪という罪になります。

②について、もう1つ、「自殺関与罪」が存在することから「自殺」すること、生命を処分(捨て去る)ことは違法です。

 

前にある地方の大会で、「試合の結果死んでも運営、相手選手に異議を唱えません」という「同意書」を書かされたことがありますが、有効な同意にはなり得ません。

 

次に、身体に重要な障害を残すという結果も、同意をもって民事・刑事の責任を免除され得るとはいえないと思います。重篤健康被害は処分できない権利・利益である、と裁判所に判断される可能性が大きいと思われます。同意が無効であれば、運営側には結果予見義務と結果回避義務が生じ、適切な措置を執ることが求められます。

 

 危険な結果を生む行為(作為・不作為)についての医学・科学情報で一般に流布されているものは運営側も承知し、予見して/行ってしかるべきとされます。指導者・運営側が、これら「しかるべき」とされたことができていないと、生じた結果に対して、民事・刑事の責任を問われます。

 

格闘技を実践する上で、

(1)危険な結果を生む行為(作為・不作為)、
(2)危険な結果を回避する行動(作為・不作為)、

 

についての、生命・健康の安全確保のための医学・科学情報で一般に流布されているものを知っておくことは、実践者はもちろん運営側自身の身を守るためにも必須です。

 

 詳しい情報の共有・理解・実践をもって、不幸な結果を積極的に回避し、より安全で安心な格闘技・武道の活動が行える。そのような機運がより一層高まっていくことを心より願います。

 

スポーツ安全指導推進機構 アドバイザー
弁護士・加藤英男  

https://twitter.com/BengoshiKH

 

 

sportssafetyinstruction.jimdosite.com